昔、イエスやブッダとして知られた求道者は、神から預かった叡智をそれぞれの時代や地域、文化、環境に応じてもっとも適切な形にしたうえで周囲に伝えました。彼らは同じ神に使える者達だったのです。
彼らは例え話を用いて人が地上でどうあるべきかを広めました。その話の一部はいまだに現存しています。きわめて男性目線で構成された逸話ですが、これもその当時の民衆の感覚に合わせる必要があったためであることは言うまでもありません。
ある男には4人の妻がいました。1人目の妻から順次結婚していき、4人目の妻を娶ったのは男の体が青年期に入るときでした。
4人目の妻に彼は多くを金品を与え願望を叶えてきました。しかし、彼が死ぬと分かった途端、この妻は彼の元から一番先に離れていきました。この妻はまるまると太っていました。
3人目の妻は、彼が死ぬと分かった途端、人に引き取られていきました。この妻はこれまで長期間にわたり手をかけてきたものでした。
2人目の妻は、彼が死ぬと分かった途端、彼の身の回りの整理をしてくれました。しかし、そのうち時間が経つと離れていきました。
男が若いときから付き添っていた1人目の妻は、痩せ細り、くたびれ、傷だらけでした。彼はこれまでこの妻に手をかけてこなかったことに、このとき初めて気がつきました。彼が死ぬと分かった途端、この妻はこう言ったのです。
「あなたが死んでもずっと一緒にいます。安心してください。今までと同じようにこれから先もあなたとともに居て、あなたを支え続けます。」
この言葉を聞いて彼は今までの行いを後悔しました。
この話においては、1人目の妻こそ霊のことを意味しており、2人目は男の親戚知人、3人目は男の財産、4人目は男の肉体をそれぞれ指しています。