妻と両親の間に立ち煩悶葛藤した結果、神を疑うようになった彼を旧約聖書のヨブ記の記録が戒めます。
無知によって神のはかりごとを暗くするあなたはいったい何者ですか。私は、くだらぬ浅知恵を働かし、神の義を果たすことを疑い、神を試すがごとく愚を犯すこの愚か者の部類に属する人のことを言っています。
日常生活では、その時にできる最大限を尽くさねばならない、とは、あなたの頭脳へ以前から伝えています。
妻を許すという神の義に従うと、両親に負担をかけることになると、なぜ結論づけてしまうのでしょうか。妻に罪を定めれば、両親の負担は減るとなぜ約束できるのでしょうか。
あなたは神の偉大な御計画をどの程度知っているのですか。
あなたは地球の始まりの様子を知りません。
地球が誕生し、生命が生じた際に働き、天文を動かし現在も脈々と作用し続けている光り輝く不動の原理をあなたは知りません。
あなたは、そこに働いた法則とすべてを支配する法則を知りません。
無知な者が神の義について安易に語るべきではありません。
あなたがその時にできることといえば、妻の行いを許し神の正義に従い続けることであり、両親を敬い、あなたがして欲しいと思うことを彼らに行うことです。
その時にあなたができる範囲で最大を尽くせば良いのです。あなたはあなたの能力以上のことは求められません。あとはあなたを守護すべく御父から許しを得た良き者達が良きに図らいます。
これまでを振り返ってみてください。
たしかにあなたは妻と出会わなければ、いまごろ地上生活は平和で、安泰で、怠惰な日常となっていたでしょう。しかし、そのような日々であなたの霊がどの程度だったか、あなたが一番承知していることではありませんか。
神の導きにより、あなたに与えられた苦しみで、あなたはどれだけ救われ、どれほどのことを得てきたことか。そこには、神の愛と子等の助言と聖霊の導きがたしかにあったはずです。
苦しむ過程で、あなたはこれまで犯してきた数々の罪を悔い改め、これまでの悪しき行為によって蒔かれた悪しき種による悪しき芽を自ら刈り取ってきたのです。
それは一昼夜では刈り取ることができません。歪んだ性格の者が、たった一晩の苦難、たった一度の懺悔で神のごとし領域に達するとでもいうのでしょうか。苦渋の涙と患難にもだえるがごとき苦しみを味わいつつ、永遠とも思える絶望の炎に心をさらしながら刈り取っていかなければなりません。
あなたは苦しみと引き換えに、あなたが得た実体ある神の栄光を一度仰ぎ見たはずです。その栄光に比べれば、物質的、肉体的満足などは影であり幻の体験に過ぎません。
あなたは苦しみを経る毎にあなたの中に揺るぎない真理の基礎が積み重なる音が聞こえたはずです。
地上にいる限りは、自分が蒔いた悪しき種のすべてを刈り取ることはできません。知らぬ間に罪を犯しているからです。しかし、これからあなたには、真理未開拓地へ神の義を普及させる任を負い、地上の橋頭堡としての役割が与えられることを自負しなければなりません。あなたは、真理を携えながら最前線に立つ歩哨です。最前線であるからこそ、常に悪の勢力から影響を受け、その心に怒りや不安、物質的、地上的欲求にさいなまれ続けます。
だからこそ、それだからこそ、その事実の存在自体が神から賜った任務であることの証拠だということに気づいてください。この時、あなたが使う武器は銃や剣ではありません。真理普及の最前線にてあなたが携え、拠り所とする武器は、愛の心、寛容の心、慈悲の心、奉仕の心です。常に悪の攻勢を受けるので、あなたはこれらの持てるすべてを活用し悪と対峙しなければなりません。
将軍があなたを選んだのですから、兵卒であるあなたは任務を完遂しなければなりません。惰眠すれば、悪しき者に攻め滅ぼされます。暗黒の地に光をもたらす栄誉ある任務を遂行していることを自覚してください。
失敗することは許されます。しかし、失敗したときに、それが栄誉ある任務であることを知りませんでした、と言い訳することはできないのです。
知識には責任が伴い、神の御霊光は周囲が暗いほど目に映えます。
神の御霊光を背に負っていることを自負してください。
あなたのような境遇の者はひとりではありません。世界の各地に、そして、地上の前線に断固たる決意を持った勇気ある者達が踏みとどまっているのです。
かつてあなたの霊は、地上で何も見えず、何も聞こえない罪深い者でした。あなたはいま、かつてのあなたと同じように霊的視力と聴力を失った者によって生じる不都合をまざまざと見せつけられることになります。彼らは、地上において肉体を持つ間、絶えず未発達霊の悪影響を受けています。
彼があなたに憤怒の目を向けるなら、そこに憤怒に満ちた未発達霊がいる。
彼があなたに侮辱の目を向けるなら、そこに高慢に満ちた未発達霊がいる。
彼の霊は未発達霊によって奥へ押し込められ、一見して肉体の主導権を握られてしまうかのように思えますが、その実、未発達霊自身も縛り付けられてしまっており身動きが取れなくなってしまっているのです。これは、自然法則の一つである磁石と同じ種の力が作用するためであり、人が人を恨むとき、その思念は一定の力を生み、磁場を形成することで同種の思いを引き寄せます。
つまり、この地上においては、いかなる高級界に属するものでもその影響を大なり小なり受けることになります。
神の義を説き続けたソクラテスの日常は安泰であったでしょうか。夫の行動に憤怒する妻から尿が浴びせかけられたとき、その返答は憤怒であったでしょうか。
彼は言いました。「雷の後には雨を覚悟しなければならない」
モーセ、エリヤ、ステパノの苦難を思い返してください。かつてサウロと呼ばれ、のちにパウロとなった者の受難はどうだったでしょうか。
そして、地上でナザレのイエスと呼ばれた霊は地上で人間と接するとき、どのように接し、どのように日常を過ごしたでしょうか。
イエスは悪の巣窟たる地上において天の御国を築くため真理を民衆に語った結果、多数の者から反感を買い、最終的に極刑に処されました。イエスは彼らを憎悪や憤怒、高慢に満ちた悪しきまなざしで見つめたことがあったでしょうか。彼らに対して復讐を誓ったとでもいうのでしょうか。
彼ら先駆者の霊は、皆その肉体に苦しめられました。空腹に苦しめられ、肉体の本能的欲求に苦しめられ、その鈍重さにさいなまれ、その痛みに悩まされ続けたのです。
霊と肉体を結ぶ鎖の重さに悲鳴を上げたのです。
こうした十字架を背負いつつ地上で迫害を受けながらも、彼らは神のご神託を授かった精鋭でありました。
現在、彼らはどのように語られているか。彼らの生活を知るべきです。
恐怖や不安は無知から生じます。