2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧

神と仏編⑫

戦争や災害で食べ物を失った人へ無償で食べ物を与える「炊き出し」。 困っている人を助けようとするとき、私たちは、この炊き出しを提供する側と炊き出しを受ける側のどちらに立つべきなのでしょうか。 これは、「人を助ける」という言葉の意味を問うことに…

神と仏編⑪

地上の体験を経て霊が成長する以上、その過程は千差万別であることが考えられます。肉体の物的満足を得て成長する霊や、食事や運動、仕事などの体験を経て成長する霊など様々です。霊の数だけ成長する道が用意されています。 ところで、霊が成長すると言うと…

神と仏編⑩

身の回りの生活環境が常にあり続ける常識的なものと考えてはなりません。 周りを見れば、コンビニがありネット環境も整備されています。分業化が進み、金銭さえあれば食物はすぐに手に入ります。ネット環境が整備されていれば、注文によって玄関まで欲しいも…

神と仏編⑨

人は進化しなければならないのです。天にまします我らが父・・・などと神に祈っていた時代はもう古く、すでに時代遅れです。さらには、自分が負うべき義務を免除してもらうための祈りなど時間の無駄です。 現代の生活に適した祈りとは、 日常生活においてい…

神と仏編⑧

地上の物質や肉体の本体が霊であるとするならば、霊が進化をすれば、当然それに従属し物質も進化することになります。この両者の進化の過程は、相互に関係を持つはずです。 地球上で生を受けた初期の生物は、その能力的な制限によって単細胞生物の段階で自分…

神と仏編⑦

私たちは日常生活を送るうえで毎日数々の選択を行っています。その選択が正しいものであったか、間違っていたのかについては、個人が容易に判断できるものではありません。短期的に見れば成功のように思えても、長期的に見ればむしろ失敗であったといえるよ…

神と仏編⑥

私たちの本質である霊は、地上で自分を開発するために必要な経験を得るため肉体を持つにあたり、肉体に適合させるためその本来の高繊細な波長を落とし込み、その輝きを犠牲にさせ肉体と一体になり、地上で物質に囲まれた生活の体験を始めます。これは霊が地…

神と仏編⑤

私たちは、不測の事態や予期していなかった事象に遭遇すると不安を覚えます。このような不安は、時として怒りの感情に変化します。現代でもこのような発言が多く見られるのではないでしょうか。 「悪いのはあいつだ。おれは悪くない。」 「あの人の説明が悪…

神と仏編④

私たちが地上でせわしなく働き、日常生活の困難に挑み続けるのは、やがて訪れることになる霊の世界での仕事に備えるためです。地上はそのための準備小屋であり、控えの間に過ぎず、霊の本来の住み家から投影された世界に過ぎません。 本番前に練習を行うため…

神と仏編③

この地上に両極性が存在しないところはありません。空気や太陽と同じと考えれば、この両極性もまた神理といえます。 光があれば闇があります。善があれば悪があります。陽があれば陰があり、右があれば左があります。 成功があれば、失敗があるでしょう。円…

神と仏編②

私が精一杯行った結果を裁くのは神であって人ではない。それでも、周囲の人が私を裁き、口調荒く苦情を申し立てるなら、一度目は許せる。二度目は我慢するが試練の中にある。三度目は怒る。 この三度目の怒りは自分を守るためだけの範囲で怒るべきです。過剰…

神と仏編①

空腹に耐え忍ぶ日々が続く中で、彼は東洋におけるブッダの考え方に出会いました。それは、イエスの語った内容と酷似していた、というより、彼らが語った内容の源はみな同じであることを彼に確信させました。彼は彼の限界が試される日々の生活において、その…

崩壊と創造編⑲

このころ、彼は空腹とそれに伴う怒りの感情にたいへん苦しめられていました。 おなかが減りますが、食べ物は与えられません。やっと用意されたかと思えば、そこには嘔吐物のような食べ物が置いてあります。しかし、彼以外の家族はきちんとしたものを食べてい…

崩壊と創造編⑱

自分にとって本当に大事な教訓は、自分の生活の中で実体験を通して学び取っていかなければなりません。 人から教えてもらった教訓や知識は、あくまで人の財産に過ぎません。それらを本当に自分の糧とするためには、自ら体験する必要があります。 人の苦しみ…

崩壊と創造編⑰

昔、イエスやブッダとして知られた求道者は、神から預かった叡智をそれぞれの時代や地域、文化、環境に応じてもっとも適切な形にしたうえで周囲に伝えました。彼らは同じ神に使える者達だったのです。 彼らは例え話を用いて人が地上でどうあるべきかを広めま…

崩壊と創造編⑯

ルールがなく自由で何でもありのスポーツをプレーヤーは楽しめるでしょうか。周囲をゴールに囲まれ蹴れば自動的に得点になるサッカーを誰か好んで行うでしょうか。行うとすればそれは児童です。大人はやらないでしょう。 大人になればなるほど、障害が大きい…

崩壊と創造編⑮

現代の病は、まわりのすべてが自分「だけの」ためにあると思い込むことである。確かに、自分のためにあるのは事実だが、自分のためにだけあるのではない。 太陽があなたのためだけに上がるだろうか。 雨は、あなたのためだけに降るだろうか。

崩壊と創造編⑭

怒りに対処する薬は、口を閉じ続けることで初めてその効き目が現れる。そのためには、歯を食いしばることが必要かも知れない。 しかし、あなたに怒っているひまなどないはず。あなたにはやらなければならないことがある。それは怒ることより遙かに崇高なこと…

崩壊と創造編⑬

その日出来ることを一生懸命行い、最大限ベストを尽くして過ごすこと。 私がすべきことは食べることに専念するのではなく、その日にできる仕事を一生懸命行うこと。 救済を求め神に祈るところに神がいるのではない。悩みながらも、苦悶にあえぎながら日常生…

崩壊と創造編⑫

私たちの内側の霊を優先すれば、私たちの外側の肉体が苦しみます。 同じように、私たちの公を優先すれば、私たちの我が苦しみます。 四海同胞、協調、奉仕、寛容、これらが地上を生きる私たち人生の基本理念であり、これを忘れた文明からは真の平和は生まれ…

崩壊と創造編⑪

神は善人も悪人も分け隔てなく平等に愛するとイエスは語りました。実際に、自然法則のなかには、なにひとつとして人を選んで作用する現象はありません。 人は皆神の子であり、神の資質を継ぐことから、人を平等に扱う神の姿に出来るだけ近づくことを神は教え…

崩壊と創造編⑩

私たちの実体に関する真実を知った者、あるいは見た者はその程度に応じた勇気を得ます。しかし、こうした真実を得るには対価を支払わなければいけません。その対価とは、犠牲を払うことです。 地上において誰かの霊が誰かに苦しめられるとき、その苦しみを救…

崩壊と創造編⑨

日常生活のあらゆる場面で妻から叱責を受けるとき、私の霊はもはや怒りません。 問題を解決する方法は、愛するしかないということを知っているからです。 怒るのは私の肉体です。肉体は自分の大切な器官を守らなければならないからです。 不可能なことを試み…