償いと試練編④

 また、彼を補佐する者達のうち、高い位置にある方は次のように言いました。高い位置にある、といいましたが、これはいわゆる「高ぶる者」を意味するのではありません。そのお方は、愛、寛容、慈悲、奉仕の精神にあふれ、御父の栄光と喜びに比較的近い位置にいらっしゃいます。真実に謙虚で慎み深く威厳あるお方です。

 

 

  • 「苦悩は必要だからこそ訪れるのです。なぜなら、魂には鍛錬が必要だからです。先駆者もそう悟りそう説いたはずです。それなくして深き真理は理解できません。何人といえども、悲しみの試練を経ずして栄光ある頂上へ登ることは許されません。」
  • 「試練によって鍛えられた真摯ある魂でなければ、何人といえども勝手に真理をもぎ取ることは許されません。」
  • 「安逸と放縦の道は、夏の日を夢見心地で過ごす者には楽しいかもしれません。それに引き換え、克己と自己犠牲と自己修養の道は、トゲと岩だらけの登り道です。」
  • 「しかし、それが悟りと力の頂上へたどり着く唯一の道なのです。これ以外にはないのです。先駆者の生涯をよく吟味し教訓を学びとることです。」
  • 「また、悪い者たちとの激しき闘争の時期でもあります。これは、御父の摂理の大いなる発展の時にはつきものなのです。いわば、産みの苦しみであり、夜明け前の暗黒であり、成長の前提条件としての憂鬱の体験であり、未熟な魂が浄化され真摯たる魂となるための試練の時なのです。」
  • 「先駆者は、かつて自身が体験した苦悩の時に言葉を残しています。すなわち、こうした夜明け前の暗黒のことを、”これからはあなた方の時間だ。つまり、暗黒の時間だ。"」と述べています。」
  • 「あなた方は、今こそその時にあります。しかも容易には過ぎ去りません。辛酸をなめ尽くさねばなりません。」
  • 「しかし、これは、すべての者に一律に適用されることではありません。なぜなら、人は霊だからです。人は理性だからです。考え方の相違があれば、そこに個性も生まれます。機械のように、それぞれの霊が一律のコースをたどって成長するわけではありません。人それぞれ異なるのです。人それぞれの信仰があるのです。人それぞれの神がいるのです。相も変わらず光を見ず、真理の太陽に気づかぬ者が圧倒的多数を占めることは事実です。」
  • 「したがって、すべての者が等しく真理を理解するときは決して訪れません。いつの時代にも、広き道を選び、狭く困難な道を選ばない人がいます。このようなことから、かつて先駆者は語ったはずです。”狭い扉から入ることを選びなさい。広い扉は入ることは容易だが、その道は誘惑と堕落が多い。“」
  • 「以上のことから、すべての者に同じ視野が開かれることを期待してはなりません。同じ水準を求めてもなりません。それは傲慢につながります。そのような夢のごとき同等性は不可能です。不可能である以上に、望ましくもありません。」
  • 「神理を預かるに足る力を授かる者がいる一方で、極力それを避けなければならぬ者もいるということです。」
  • 「真理が矛盾するのではなく、それを授かる人の解釈が異なることによって真理に様々な面が生じることになります。旧約聖書の記述には、個々の人による解釈の相違がことごとくあらわれています。」
  • 「彼が地上で授けられた真理は、彼の自我が心から求めた結果、御父から与えられたものであり、彼ひとりの、彼の特殊な需要への特殊な施しなのです。」
  • 「御父は人に真理を押しつけるようなことはいたしません。謙虚と慎みの極地に在るお方が、そのような傲慢なことをなさることはありません。それをするのは地上の人間です。御父は、それを啓示し続けるのです。受け取る準備ができた者たちが、その理解力に応じてそれを受け取るのです。」
  • 「真理は、それを受け取る者に用意がなければ取り返しのつかない害すら与えかねません。これも次のとおり記録が残っているはずです。”持つ者にはさらに与えられ、持たざる者からは、わずかに持つものさえも奪われる。”"豚に真珠を与えるようなことをしてはならない。"
  • 「繰り返しますが、真理は彼の自我の発達段階に応じて、最も適したものが与えられるのです。そこに早く達するか、遅くなるかは、あなたの意志にかかっています。そのために、神は私たちに自由意志をお授けになったのです。」

 

 このようにして、彼の自我は地上において肉体を持つこととなったのです。