神と仏編㉝

 軍隊のどの訓練においても、素晴らしい働きをする者たちはいます。ある訓練課程では、いくつかあるボートクルーのうち、ブルーチームが全レースを制覇していました。

 彼らは毎回努力し、文字通りチーム一丸となって戦っていました。ブルーチームには優秀な指揮官がいて、隊員も意欲的で誰もがしっかり働いているように見えました。互いに弱点をカバーし合い、助け合い、勝つことを誇りにし、報われていたのです。

 一方、ボートクルーのレッドチームは、別の意味で目立っていました。ほとんどのレースで最下位に沈み、ほかのチームに大きく水をあけられていたのです。誰もがチームとしてではなく、個人として動き、ほかの隊員に腹を立てては、イライラを募らせていました。少し離れていても、怒鳴り合い、罵り合い、「おまえは務めを果たしていない!」と、誰かを責める声が聞こえていました。

 どの隊員も自分の苦しみや不快感にばかり目を向けています。レッドチームの指揮官も例外ではありません。彼はリーダーとしてチームが出した成績に対して責任があるのに、「それがどうしたの?」という顔をしています。「俺はツイていないだけだ。自分がどんなに頑張っても成績を残せないのは、駄目なチームを任されてしまったからだ。」

 そんなとき、ある教官が面白い提案をしました。

 「ブルーチーム指揮官とレッドチーム指揮官を交換したらどうだろう。」

 これを聞いたブルー指揮官は、明らかに不服そうでした。自分が作りまとめ上げたチームを離れることは嫌に違いありません。ブルーチームが残してきた成績にも胸を張っていたはずです。

 一方で、レッドチーム指揮官は明らかにうれしそうでした。「これでやっとダメなチームから解放される。俺は成績の悪い者が集まるクルーを任されていただけなんだ。自分がどんなに頑張っても、クルーを改善することはできない・・・。」

 そして、レッドチーム指揮官にとって、待望の指示が発せられます。教官から「ブルーチームを引き継げ」と命令されたのです。こうして、晴れてレッド指揮官はブルーチームを引き連れレースに参加しました。

 その結果は衝撃的なものでした。これまで最下位だったレッドチームは、新しい指揮官を迎えたこと以外、何もかもが同じ状況なのにも関わらず、最高のチームに変わったのです。罵り合いもイライラもどこかへ消えていました。

 このことは、責任感の核となる基本的かつ重要な真実を示すような決定的な実例です。出来の悪いチームなどないのです。出来の悪い指揮官がいるというだけです。

 指揮官はあらゆるチームの成績を司る唯一にして最大の要素だということです。チームの成功も失敗も、すべて指揮官にかかっています。指揮官の姿勢がチーム全体の雰囲気を作ります。チームの雰囲気を客観視すれば、それが指揮官の雰囲気だということです。チームの成績が伸びるのも、伸び悩むのも指揮官次第です。これは、チーム全体をまとめるトップの指揮官だけでなく、小さなチームを仕切る若手のリーダーにも当てはまります。

 私自身がボートクルー指揮官を務めた経験を振り返ると、失敗して力を出し切れなかったときも、成功した日もありました。私のクルーも成績が伸びず苦しんだ時もありましたが、それは指揮官が「ボートの先頭の一番難しいポジションに就いて、指揮を執るべきだ」と気付くまでの話でした。勝つためには、隊員を激しく、本人たちがやれると思っている以上に駆り立てなくてはなりません。

 こうして気付いたのです。先のことや遠くて見えないゴールではなく、目の前の具体的な目標、「100メートル先の海岸標識や道路標識」に目標設定したほうが遙かに効果的だということです。