償いと試練編⑦

 彼の地上の母(以下、B)は、偽善者です。

 Bには男子(彼)のほかに女子がおり、この女の子は頭脳明晰で地元で評判でしたが、同時にBの嫉妬を買った結果、日常的に心ない言葉が浴びせられ、それにより肯定感が養われず否定的な観念が精神を支配することとなってしまい、さらに、Bの世間体にとって何の利益を生まないとわかると、Bによって遠くに追いやられてしまいました。

 そのような境遇のBの女子がその人生の苦しみに対処するには、彼女の理解力に応じた信仰が必要でした。信じる対象がなければ、人は苦しみに耐えることができないからです。地上では数々の信仰が場所を変え、中身を変え存在していましたが、その中で彼女の理解を得た信仰は、親や兄弟などの近しき者との縁を絶たなければならないとする教えを含んだ宗教でした。

 このようにして、A、Bおよびその男子である彼と、この女子は疎遠になっていったのです。

 一方で、AとBの男子である彼は、その頭脳の働きは鈍いものの、Bの嫉妬を買わず近くに置かれました。しかし、それはあくまでBの世間体を保持するためであり、純粋な愛とはほど遠いものでした。その口は二面性を持ち、外部の人間が聞くBの意見と、家族が聞くBの意見は正反対の内容でした。そして、Bは偽善であるが故に、実子である彼に対しても偽善を働いたのです。

 地上の人間が日常生活で行うことは、利己的、利他的なものに関わらずすべてが記録されています。そうでなければ、日常生活の貴重な体験を魂の向上進化に繋げることはできません。数々の法治国家において、過去の裁判による判決が記録され、実績のある判例として明文法を補填していますが、これと理屈は同じです。過去の記録がなければ、進化に資することはできません。生物の成長はそこでストップしてしまいます。

 次に述べる出来事は、Bの肉体である脳髄からは消えてしまっている可能性がありますが、過去において確かに発生した出来事として記録されています。