償いと試練編⑲

 こうした日々が続くなか、彼は必死に救済を求めました。

 引っ越すこともできなければ、その場に居続けることも困難であるという、八方塞がりの状態だったからです。

 彼の父親であるAの金切声と嫌がらせ、また、彼の妻の非協力的な態度などに苦しめられ、夜も満足に寝られず、実際に涙する日が数日続いたある日、彼は周囲へ助けを求めることを諦め、自分の内部へ、すなわち、目には見えぬところへ救済を求めだしたのです。

 それまでの彼は、そういった心霊の世界や精神世界について、肉眼に感知できないものたちの存在はなんとなく認めていましたが、それを日常生活において具体的に支援する者といった意味での支援者として信じることはありませんでした。

 当時の彼は次のように言っていました。

「それらの存在は認めよう。しかし、この世はこの世に生きる者達の修羅場である。目に見えぬ者たちは控えよ。目に見えぬ者は物質には影響を与え得ない。」

 彼はこの考えに支配されていましたが、連日続く苦しみに対して、この概念は揺るぎない牙城となるほどの強さを提供できるはずもなく、些細な困難の一息でもって崩れ落ちてしまう程度でした。

 この事実は否応なしに彼へ内省を促し、これまで眠っていた彼の良心の声へ彼の意識を向けさせ、やがて彼の意識の片隅に目に見えぬ自我について関心を向けさせることに成功しました。

 彼を補佐する者たちは、彼の弱った脳髄へメッセージを送ります。この信号の受信機は脳の中央に位置する松果体(Pineal body)と呼ばれる機関です。

 ただし、そのメッセージの内容はよく厳選されたものでなければなりませんでした。あまり崇高な、当時の彼の知識以上の内容では、彼が認識できないからです。当時の彼の程度に合った内容を救済メッセージとして送信する必要があったのです。

 補佐する者たちによって、彼はスマホを調べるよう導かれました。

 その時の彼の脳裏には、以前からテレビなどのマスメディアに登場していた人物の顔が浮かんでいました。

 日本国内でスピリチュアリズムの概念を広めていた人で、当時民放テレビ番組などで出演者の前世を示し様々な助言を行っていた人物です。

 彼は直接その人物から何かを得ることはありませんでした。ただし、当時の彼の「程度」では、その人物を通して、霊的世界への扉を開ける必要があったのです。急に真理を啓示しても、彼にとっては幼稚園児に因数分解を理解させるようなものだったでしょう。因数分解の話を理解できず、授業に飽きた幼稚園児はその場から抜け出し、積み木で遊び出すでしょう。

 彼には、この「積み木」が是非とも必要だったのです。それが、当時テレビに出演していたその人物だったということです。

 しかし、容易にたどり着きませんでした。その間もAによる罵声は続き、彼を追い込み続け、やがて彼は救済を求め叫び声を上げました。

 文字通り、魂の奥底から絞り出される正真正銘の魂の慟哭です。

 私はこのとき苦しみ、今もなお苦しんでいるので、地上で苦しむ方々の心境はよくわかります。

 

 苦しみの最中においては、あらゆる慰めの言葉は意味を持ちません。

 しかし、いまこのとき地上で苦しむあなたは諦めてはいけません。

 勇気を持ってください。

 持てる理性をすべて振り絞るのです。

 天にまします我らが父は、愛する我が子の真実の慟哭を決してお見捨てにはなりません。

 

 我が子が食べ物を欲しがっているのに、石をあげる親などいるでしょうか。いるとしたら、それは親とは言いません。そこにあなたがいるのだから、かならず真実の両親がいらっしゃいます。これは肉体の上での両親という意味だけではなく、霊的な意味での両親という意味も含みます。

 こうして彼は、手にしたスマホでかつて地上における先駆者達が霊界に及びながらも、引き続き行ってきた人類救済のための事業の記録を垣間見ることとなったのです。