償いと試練編⑳

 彼がスマホを通して見た通信記録というものは、当時の彼に知識を与え、同時に彼を勇気づけるものでした。

 彼の魂は、日常生活の苦しみという日照りによってカラカラに渇いており、その喉を潤す知識を求めていたのです。

 その知識の概略は、次のとおりです。

 1800年代中頃から現在のアメリカにおいて心霊世界の探求が話題となったときがありました。なかでも、「ハイズビル事件」として記録される事象は有名であり、ある建物内でラップ音がするというので試しに検証したところ、その単純なラップ音が規則性を有しており、実は明確に何者かの意思を伝えようとしているものだった、というものです。

 この「ハイズビル事件」については、現在ホームページでも検索できるので詳細は省略しますが、この事件を皮切りに、当時スピリティズム、いわゆる心霊主義として当時の著名な科学者を巻き込み、目に見えぬ世界の存在とその世界の者たちとの通信等に関して研究が進められたところです。

 彼がたどり着いたのが、このとき行われた霊界通信の記録とされるものの一部です。ご存じの方もいらっしゃるかと思います。いわゆる「シルバーバーチの霊訓」として知られるその内容によって、彼は霊界に関する知識の一部を得て、地上生活においておおいに勇気づけられたのです。

 勇気づけられたといっても家庭の現実問題は続きます。しかし、このときすでに彼は彼を補佐する者達の存在を間近に感じることができていたのです。記録によると、そこは公衆トイレでしたが、彼にはたしかに平穏と確信がありました。

 場所や建物が神聖になるのではないということです。神の子である人間が一歩だけ御父に近づく、その時が神聖であるのです。

 この体験によって、彼はその涙と魂の慟哭の中で、彼の父(A)にその弟(D)が取り憑き影響を与えていることを信じるようになりました。

 つまり、彼はこのとき自我の存在を認め、霊の存在を知ったのです。

 次の日、太陽が昇り、暗黒の夜が過ぎ去ったころ、Aはいつもの通り、彼を問い詰めてきました。

 「いつこの家を出て行くんだ。」

 「アパートを探しているというが本当なのか。」

 彼はこの挑発ともいえる問答に耐え、理性を働かせ冷静に対応し、話が一段落したその時にAへ次のことを伝えたのです。

  • Aが酔っているときの姿を見たが、今思うとその姿は豹変していた。とてもAの表情とは思えなかった。
  • 最近叔父のDが亡くなったと聞いた。
  • あの酔った姿はAではなく、Dそのものだった。
  • Dが死んだら無に帰す、またはすべて終わりと、本当に考えているのか。愛する者が亡くなったら本当にそれで終わりと考えているのか。ならばなぜお墓で手を合わせるのか。
  • お盆やお墓参りの時に、我々は何に対して手を合わせているのか。肉体なき霊魂へ手を合わせるのだ。Dは肉体から離れてもたしかにそこにあり続ける。
  • そうだとするとDの行き先は生家であるこの家だけである。
  • 頼れるのは兄であるAだけである。
  • Dはあなたと酒を飲んでいたのではないか。生前できなかったことを果たそうとしているのではないか。
  • あなたは、Dに取り憑かれていたのだ。

 それまで彼の父(A)は、彼を問い詰めるため体全体で対峙していましたが、この言葉を聞くと明らかに狼狽し、文字通り1歩退いたのです。

 そして、何事かをつぶやくと、背を向けその場から立ち去りました。