償いと試練編㉑

 彼と彼の父親(A)との間で、Dに関して先のやりとりがあってから数日が経ちました。

 それまで、Aは家の敷地に自分の車両を駐車することで、彼夫婦に車を駐車させないといったことをしておりましたが、彼が気づくとそれがなくなっており、彼が駐車できる状態となっていました。

 そんなある日に、彼はAから話があるとして呼ばれました。

 このときのAに、酒は入っていません。発言の趣旨は次のとおりです。

  • 今回の騒動は、近所の知るところとなってしまった。近隣からは、”はやくもお嫁さんが出て行ってしまったのか?”などと、侮辱の言葉が投げかけられたところでもある。
  • これは、我が家の大きな恥である。このまま、若夫婦を追い出したとなれば拭い去ることのできぬ我が家の汚点となる。
  • よって、この家を出て行けとの言葉は取り消す。嫌がらせも行わない。しかし、この家に住まわせてもらっているという意識だけは持ち続けなさい。」

 これまでの家庭の騒動については、Aが夜間に彼夫婦に対して叫び声を上げる、テレビの音量を最大にするなどといったものでしたが、当然、これらの騒音に関して隣接する住宅の住民が耳にしており、彼が住む地域の性格上、周辺に知れ渡ることとなりました。

 このことを知ったAとその妻(B)は、世間体に価値の基準を置く彼らの心を大きく困惑させたのです。

 先に挙げたAの言葉の数々は、まさに地上の物質にすべての価値を求める物質主義者のものであり、かつて、地上における真理の持ち主を迫害し弾圧した者たちと同じ部類に属します。

 実際に、その後に続く生活において、AとBおよび彼の妻の3人は三者三様の方法で彼を苦しめ続けることとなるのです。

 しかし、この時点で彼にそのようなことを思い及ぶことができるはずはありません。彼は事態が急速に落ち着くことをつかの間の喜びとするとともに、祈ることを知った彼は、生前に苦しんだであろう叔父のDの冥福を祈り始めるのでした。

 彼の父と彼の叔父の救済を願い、祈り続けたのです。

 そして、その後、彼には真理を学ぶための期間と日常生活における実践のため、また、肉体と自我の休養のため6年の歳月が与えられました。

 これまでの彼と異なる点は1点です。彼は日常生活を人のために尽くそうとする意欲に燃えたのです。

 しかし、同時に未熟な彼の心境には、「高慢」という重大な悪が潜んでいたのです。