償いと試練編㉗

 次に、真理に関する言葉を語ることについてはこうあります。

 地上の人が真理に関する言葉を語るとき、それは苦しみの体験を経て受け取った真実の言葉でなければいけません。決して、自身の傲慢から生まれた言葉ではいけません。

 それは、かつて真理の探究者たちが、自身が体験した苦しみから言葉を残したのと同じです。

 人を裁いたり、批判することは、怒りという苦しみを生じさせる原因となります。

 しかし、人を許すということは簡単ではありません。特に、あなたが対立する者たちの間に入るとき、すなわち、一方を許せば一方に害を及ぼす状況にあるときほど、あなたは葛藤し煩悶します。

 かつて、犯罪を犯した者を投石によって殺害することが公の法とされていた頃に、その法律の是非が問われたとき、その遵守を表明していた方は答えました。

 「罪を犯したことのない者から最初に石を投じなさい」。その場にいた民衆はこれを聞くと、高齢の者からその場を立ち去りました。

 そして、その方は犯罪者に言いました。「さあ、行きなさい。もはや誰もあなたを責めません。私もあなたを責めません。」

 地上に生きる者で、罪を犯さない者はいません。罪を犯さないというのならば、完全な人間ということになりますが、そもそも、この「完全」の定義すら人間には難しいのです。

 傲慢な者はこう言うでしょう。「私は罪を犯したことがない。だから罪を犯した者を非難し、罰することが出来るのだ。皆が私と同じように行動すれば、罪を犯すことなどあり得ない。私と同じように行えばよいのだ」。

 この時、葛藤と煩悶に喘ぐあなたが助けを求めることができる者は、罪を許すものでしょうか、それともこの傲慢な者でしょうか。