償いと試練編㉖

○ 結婚8年目5月

 謙虚さについて痛感した彼でしたが、依然として怒りにさいなまれ続け苦しむ彼に向かい、彼の守護を司る心優しき者達は次のように語り続けました。

 

 あなたを辱め、侮辱し、怒りを抱かせる者と日常生活を送ることは苦痛を伴い、苦しみが常に伴います。

 こうした怒り、苦しみを時には耐え忍ぶべく努力をしなければなりませんが、この時、「私には耐え忍び続けることができる」などと言うのは傲慢です。苦しみは神が与えたもうたものです。あなたの忍耐など、神がその気になれば、一吹きでたやすく崩れ落ちます。

 雨が降り続ければ、堤防が決壊するのと同じです。神が与える苦しみや、神があなたに抱かせる怒りは、あなたの自慢する忍耐力を軽く超えて襲いかかり、その忍耐の堤防を決壊させるのです。

 「私には耐えることが出来る」と言うことは、神の采配する苦しみに対して自身が上にあると言っているようなものなのです。

 そうではないのです。

 神が采配する苦しみだからこそ、それを分析するのです。すなわち、怒りや苦しみが発生するまでの経緯と周囲の状況、問題となっている事柄の原因と解決方法、これからの予防策を徹底的に検討するのです。そして、支障のない範囲で、それを周囲の人に話してみるべきです。

 あなたの苦しみに対する忍耐には限界があります。その限界以上に耐えろというのは、出来ないことなのです。それを認めるべきです。

 あなたに出来ないことは、どうあがいても出来ないのです。

 あなたに出来ないことがあなたに直面したときにあなたには何も出来ないように、出来ない人に対して、あなたがそれをやれと言ってはなりません。

 なんと傲慢なことでしょう。神でさえ、その人が負える荷物しか負わすことを許していないのです。

 例えば、身体的または精神的な障害や、先天性、後天性の疾患によって、日常生活に支障を生じている人へ、あなたの理想を実現させるため、一方的に一定の行動を要求してはなりません。

 それは人を苦しめることです。

 やがて抑えきれないあなたの怒りとなり、あなた自身を苦しめ、さらに神の采配によって人を苦しめた方法と同じ方法で、次はあなたが苦しむのです。

 すなわち、あなたは、あなたが出来ないことを解決しなければならない状況に立たされることで、今度はあなたが苦しむのです。