償いと試練編㊷

 地上の物質に偏重する者は物質の充実に理想を抱くことで、その限られたはかない地上人生の目標とします。

 肉体は、霊が地上で体験を得るうえで必要不可欠な道具です。そのため、神は肉体を維持管理するうえで当然の欲求として物質への願望をお許しになり、また、人の自由意志として物質の充実へ向かうことを選択肢の一つとしてお与えになりました。

 この欲求は真理に乏しい者の中で特に速く膨らみを増していきます。しかし、物質をいくら集めても、所詮は陰に過ぎないので真の充足感は得られません。真の充足感を感じる部位は脳ではありません。霊が体験し進化向上する過程において霊が充足感を覚えるのです。これによって、さらに次の進化に向けての原動力が得られるよう設計されています。

 あなたの良心はこの点を十分に認識しています。しかし、実際には物質的煩悩に悩まされ、現実と良心とが衝突を始めます。その良心と決着をすべく、物質主義のあなた方は、ありもしない上面の善意で取り繕おうとするのです。

 それによってあなたは憤り、さらに自分勝手になっていきます。あなたが憤る際には、それが神の義の前で正当とされるものか、それとも自分の理想によるものをよく考えなければなりません。

 地上の低き階層では、真理の光が乏しいことによる多種多様の苦しみが生じ続けています。これらはいわば人の手による火事のようなもので、地上における真理の担い手は神の義によって光をあて、これらの火事を消火し続けることが任務となります。

 そこはすでに最前線です。もはやあなたは真理の担い手なのだから、こうした火事を見て見ぬ振りは許されません。火事を傍観したり、消し方を誤れば、その火はすべてを焼き尽くします。

 しかし、その火事は神が人にとって必要と定めた自然法則に基づき発生します。神が必要と言ったものを、どうして人の子が要らないと言えるのでしょうか。消し方に失敗し、時にはやけどすることもあります。結果はどうあれ、事態に対処するあなたの姿勢が問われるのであり、猛火に包まれながらも信仰を捨てず、神の義を唱え続けることが求められます。

 次に彼は聞きました。

 あなたは自分が不完全であり、しかも完全からはほど遠く、日常的に過ちを犯すことを知っています。このとき、あなたはそれがなぜ過ちであるということを知っているのでしょうか。それは過ちを犯さない絶対的な存在を認めているからであり、そのお方と比較できるからです。比較できなければ、過ちは過ちではなくなります。光があるから闇があるのであり、表があるから裏があるのです。

 未熟な人間は罪を犯すことで自ら神から遠く離れ、または、魂の進化向上を願う人間は自らへの試練としてあえて自ら神から離れます。

 苦しみによってあなたが神を求め祈り、叫び、思い描いた時に、神を遠くに感じるのはそのためです。