償いと試練編㊶

 ある日の朝、睡眠中に離れていた彼の霊が肉体に戻った直後のことでした。

 彼の妻は、いつものようにささいなことで彼を罵倒します。その口から出る悪い言葉は機関銃のように息つく暇もなく吐き出され、肉体と霊が融合しきっていない寝起きの彼を容赦なく打ち付けます。

 その時、彼は次のとおり思念したと記録されていますが、これは霊の発展途上によくある先入観を含んだ偏見であり、自己都合を基盤とした概念です。

 

〔以下、真理とはほど遠い思考の記録〕

 彼は妻の頭に灼熱の練炭が置かれるものと考えた。

 その練炭は、彼女が頭を垂れた瞬間に彼女へ降りかかり、その熱が冷めるまで彼女を焼き苦しみを与え続けることだろう。

 なお、その苦しみは、彼女がかつて重ねた善行によって考慮される。

 彼女の物質至上主義ともいえる傾向は、かつて同じように物質に価値を置く者へ善行を働くために必要とした動機なのかもしれない。

 負に手を差し伸べるには負に身を置かなければならない。

〔記録終わり〕

 

 ところで、あなたは脆いので神の助け無しには存在し得ません。ゆえに神に忠実に、間違っても神に逆らうことがないように心がけるべきです。

 神の意向は地上において自然法則として働きます。物が上から下に落ちる法則に無意識に従っているように、神の意向に逆らうことは自然法則を無視することに等しい不自然な状態です。

 あなたは、物を上へ投げることができるし、川を遡上することもできます。神は我々に選択の自由をお与えになっているからです。しかし、投げた物はやがて下に落ち、流れに逆らう者はやがて力尽きます。そして、自然法則に逆らう者は、自然法則がなんたるかを苦しみのなかに気づくことになるのです。

 たしかに、自然法則に従ったとしても、川を下る者は障害物にぶつかることがあります。それが激流であれば、なおさらその痛みに耐えねばなりません。

 障害物にぶつかる経験を持つものは、その体験を経て障害を避ける泳ぎ方を身につけるかもしれませんし、怪我の対処方法を身につけるかもしれません。これらは、障害に遭わずに何らの苦しみを受けることなく、のんびりと川下りした者には知ることができない真理です。

 苦しみの渦中にあるあなたは、やがて神があらかじめ定めたあなたがあるべき場所へ自然にたどり着くことになるのです。

 ナザレのイエスはこのことを次のように端的に表現しました。

 「先の者が後になり、後の者が先になる。」