受難と実践編⑩~⑪

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 これは提案であり、とても大きな間違いを含んでいるかも知れない。
 どうしようもない怒りや悲しみ、慟哭に直面したときは、自然法則である神に不平を述べるのではなく、また、周囲の人間に不平を述べるのでもなく、私らの指導霊、守護霊に苦情を申し立てたらどうか。
 神に祈っても、神は自然法則そのものなのだから覆りようがないし、周囲の人間へ相談は出来るが、文句を言っても新たに罪を犯すだけであって、霊的観点からの解決にはならない。
 指導霊や守護霊に思いの丈をぶつけ、神理に照らし理解が出来ない点や進化向上の原則に反することになりかねないと考える理由を述べるのである。
 怒りながらでも良いし、机を叩きながらでも良い。背後にいる霊に「なぜだ」をつきつける。地上での自分に全責任を負うのは自分なのだから、それを踏まえてのことである。

 

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 苦しみは人に真理を悟らせるためにある。苦しみ自体の解決は二の次である。苦しんで、やれるだけのことをして、良心が納得すれば後は良い。主目的が達せられれば、問題は自然に解決する。ただし、神の目はごまかせない。ぼくはこれだけの神理を得たので許してくださいと言っても、許すかどうかを決めるのは神の領分である。