忍耐編⑥~⑩


 馬鹿げた地上の欲求が満たされないでいる霊にとって、霊の本来のすみかである光や美の世界などというものがいったい何の役に立つでしょうか。
 彼らは彼らの冷酷な魂に現実の変化が訪れるまでは、彼らを取り巻く暗黒の中に留まり続けなくてはなりません。
 物質欲に支配される者は、他人の犠牲をいとわず低俗な物質欲を満たそうと努力します。
 なにより、彼らの霊が向上するためには、その物質欲が満たされることが必要だからです。
 その過程で悪を働くにも関わらず、直後に彼らへ罰が与えられないのは、罰を与える創造主の手によって、彼らに準備ができるまで罰の到達が延期されていることによります。
 彼らは創造主に愛されています。
 そこには不平等も不公正も存在しません。
 あなたは彼らが罰せられることを望み、創造主はそんなあなたをも同時に愛します。


 地上の存在のすべてはあなた方に使用権があって、霊に属するものは、神理に浴した者が把握します。


 神の栄光に浴したものは、悪に動揺しません。むしろ悪のその姿故に悪を哀れます。
 神理を知るものは、物質の上にその存在価値を置く者に動揺しません。むしろ彼らを大いに哀れます。物質はいずれ崩壊する幻であることを知っているからです。
 幻を基礎とする者の末路はたかが知れており、霊という永遠の実体を基礎とする者から見るとその姿は哀れです。
 しかし、神理は悪に哀れみを与えるが情けはかけません。情けは人間が勝手に与えるものだからです。


 自分とは、自分という低次の霊が取り憑いているものと考えられます。

10
神の采配によって目覚めさせられる前のあなたはどうでしたでしょうか。
肉の目では見ているが、霊の目はまったくの盲目でした。
肉の目で見るものといえば、まさに肉欲、世間体、物質欲です。
その後、苦難の体験を経て霊の目は赤子同然となり、さらに暗黒の体験を経て徐々に視力を回復させていったことは紛れもない事実です。