忍耐編⑪~⑮

11
地上で人間は周囲の者達から様々な行為を受ける定めにあります。
それによって怒り、悲しみ、苦しむのは誰の霊なのでしょうか。
本人の霊がこれによって苦しむのならば、このとき苦しむ本人の霊こそ低次の霊です。

12
地上で人間は周囲の者達から様々な行為を受ける定めにあります。
その時、苦しむ誰かを救うのであれば行動しなければなりません。
誰も救うことがないのであれば、自分がそれを受け苦しまなければなりません。
いずれも経験しなければならない体験ですが、一度経験してしまえば良いのですから、体験した結果、絶えられないのであれば、その場から逃げ出すことも許されています。

13
人から受ける苦しみは神が采配した苦しみです。
苦しみは嵐に等しいから、これを受けるときは心して受けなければなりません。
この嵐に投げ出されないよう、肉体においては姿勢を正し、精神においては心を引き締め、間断なく自分の中に悪の感情が生じないよう細心の注意を払います。
文字どおり、全身全霊で苦しみに耐え続けることです。

14
天から与えられし苦しみから逃れようと低次の人は一生懸命考えますが、その結果得られた判断が正しいと誰が断言できるのでしょうか。
その一方で、天が与えた苦しみはそれ自体が正当なものです。

15
神が与えてくださった人間の自然な感情を無視してはなりません。
嫌なことを言われたらストレスですし、それが自然な感情です。
なぜなら、神はその忍耐を試されておられるからです。
それは地上で経験すべきであると神がお与えくださった体験です。
可能な範囲で積極的に苦しむ他人を救済しなければなりません。
ある人は時としてあなたにストレスを与え、時としてあなたに救済を求めます。
この時に救済するあなたはまさに神理のなかにあります。
それに考えてみてください。
あなたの精神を害する者は低次の者です。
なぜなら高次の者は救済する者だからです。
低次の者があなたの霊をどこまで破壊できるというのでしょうか。
神の一息によって、遅かれ早かれ悲惨な憂き目に遭わせられるのは低次の者です。
あなたは、あなたの霊を神理の中に置き続けなければなりません。