忍耐編⑯~⑳

16
祈ることに関しては、その作用やメカニズムにいまだ不明点が数多くあります。
心を地上から引き離し、地上の自分という低級な存在を忘れた静けさに霊をおきながら、唱えられる祈りの言葉は多くないはずです。
しかし、神がわたしに必要なものを示していただけるように祈るぐらいのことは許して欲しいと思います。
眠りに落ちるその刹那、「私に必要なものを教えてください」と、神を聴くのです。

17
彼の3歳になる娘は寝起きに彼に質問しました。
がっこうは、こわいところなの?
恐くなるようなことをしなければ、恐くないところだよ。
がっこうにいって、プールでおよいで、じぶんでかんがえるの。ぷーるはこわいところなの?
ルールにしたがっていれば恐くないよ。
がっこうではどうしてべんきょうするの?
自分で考えることができるようになるためだよ。自分で考えて、そして、苦しんでいる人がいたら、可能な限りその人を助けるんだよ。
私が盲目であった頃は、娘のこの素朴な質問にさえ答えられなかった。

18
苦しみを装う者は、その人を助けようとする者が延ばした救援の手を叩き、いずれ自己の内部に閉じこもります。このとき、根底にある感情は自己憐憫です。
そして、救援を拒む者は自己憐憫の情にさいなまれることに喜びを覚えます。
彼らを非難できません。最も恐れるべきは、自分自身が苦しみを装う者となっていることだからです。
そうではなくて、実際に苦しむ者となるべきです。
パリサイ人のように愁顔をしてはいけません。偽善者のように人前で愁いてはいけません。

19
神は地上を二極性をもって創造されたのだから、苦しみばかり見ていてはいけません。
神は幸福も創造されたのだから、乱用しない範囲で幸福を堪能すれば良いのです。

20
娘が生まれて喜ばずにいられない。
その健全な成長を見て安心せずにいられない。
その愛らしい姿を見て感動せずにいられない。
いずれ結婚し離れるときが来て、涙せねばならぬことが宿命だとしても。