開拓編⑮(葛藤の章)

 例えば、1歳の時に両親に捨てられ孤児院に預けられた女の子は、10年経った後、11歳の時にこう言いました。

 「灰色のような1日のおかげで、あたしが独りになって前に進めなくなったときほど、あたしはニヤッと笑って顔を上げてこう言うわ。「太陽は必ず上がってくる。だから、あたしは何があろうとそれまで踏ん張らなくちゃならない。あたしは太陽が上がる日が好きなんだ。それはいつも1日先にあるものだからね。」」

 わずか11歳の女の子が語ったこの言葉は神理です。屋根があり、暖炉があり、恵まれた環境で唱えられる形だけの祈りに比べ、この言葉はなんと崇高な力を持った言葉たちでしょう。実際に、この言葉は苦しみあえぐ者たちに勇気と希望と感動の涙を与えるでしょう。

 このとき、この女の子が語った「太陽」とは神のことです。11歳の女の子にこの言葉が残せておきながら、なぜ40歳の男が信じることが出来ないのでしょうか。くだんの高級霊ほど地上で困難な生にうまれつくとは、まさにこのことです。

 別の歌にもこうあります。いずれも、日々の苦しみに立ち向かい、前線で活動する勇士へ送られるべき神からの言葉です。そして、同時に、日々を日和見姿で心地よく過ごし、苦しむ経験がない真理なき者たちの耳にはなんら響くことがない言葉です。

 「雨の中を進むときもあった。

 空腹にも耐えなければならなかった。

 この生きるための苦しみと試練は、すべて我々が新しい光を見る日のためにある。」