開拓編⑯(葛藤の章)

 この頃、彼は空腹により窮乏していました。

 別に断食がしたくて好き好んで空腹状態になっているわけではありません。彼の資金は妻がすべて握り、朝食はなし、職場での昼食は、お弁当を作るとの名目で実際は、野菜の葉やリンゴの皮、珍しくパンやお米が入っていたとしても、それは彼の娘が食べ残したわずかな破片でした。だからといって、おなかを減らし帰宅した彼に満足な夕食が提供されるはずもありません。彼の妻は用意はするものの、一皿の上に添えられた子供用ウインナー3本、豆腐一口など、とても空腹を満たせるものではありませんでした。

 彼の妻は悪意を持ってそれらを行っているわけではありません。やらないのではなく、できないのです。まさに、ぬかに釘です。そこにたたみかけるかのように、彼の妻からは彼へ家事育児の指示や苦情が立て続けに持ち込まれます。

 そのため、彼はいつからか、このような人の意思で防ぐことができない状況における空腹は神がもたらすものである、と考えるようになりました。そうでなければ、乗り越えられないからです。

 そうはいっても、彼はあらゆる手段を講じて食べなければなりません。それと同時に、彼が食べることが他人に害を与えることになってはいけません。人から奪い取ってまで食料を確保することは人道に反します。彼は、この点で食物を求める胃の痛みといった肉体の欲求と葛藤しながら、なんとか食料を工面し、この神が与えたとしか考えられない環境に対応しなければならないのです。

 さて、仮に食事を確保することができなくなったときは最終的にどうなるのでしょうか。肉体に死が訪れるのは当たり前です。ここでいっているのは、その先のことです。

 仮に対応できないときは、霊が肉体を離れ、人が次のステージに移るときだから悲しむ必要はないのではないでしょうか。

 どうせ倒れるなら、私に食を与えない者を愛しながら、前のめりに倒れれば良いのです。そのときは、わずか11歳の女の子が地上の苦しみの中でそうしたように、顔を上げて笑いながら明日の太陽を待とうではありませんか。