開拓編⑨

 他人と比べて、自分の行いが「まとも」だと自分で自分を正当化することは、やがて自分を苦しめることになります。自分が「まとも」だと自分で判断する基準というものは、常に相対的で周囲の環境によっていくらでも変わりうるのです。

 あなたの肉体が苦しめられているのであれば、同じように肉体を苦しめられている人の苦しみを理解し、その罪を許すでしょう。あなたの肉体が満足しているのであれば、肉体の苦しみによって罪を働いた人を積極的に裁くでしょう。

 高慢な者は、人を積極的に裁くでしょう。謙虚な者は、人を許すでしょう。

 あなたの精神が疲れ切っているとき、あなたに人を許す余力は少ないでしょう。あなたの精神が満たされていれば、あなたに人を許す余力は大きいでしょう。

 あなたが空腹の極みにあれば、同じように空腹によって盗みを働いた人の罪を理解できるでしょう。あなたが常に満腹で、空腹になった経験がないのであれば、空腹によって盗みを働いた人の罪を積極的に裁くでしょう。

 あなたが人を許せるかどうかは、あなたがこれまで経験してきた苦しみの大きさにかかっているのです。苦しみの何かを知らず、苦しみの一部も味わったことのない青二才は追い詰められると必ずこう言います。「私は悪くない。悪いのはこいつだ。まともなのは私以外を置いて他にはいない。」

 この姿勢は必ず事態を悪化させます。ミスが発覚した段階で、自分の未熟故の誤りであるとして素直に非を認めるべきなのです。事実を公表しろということではありません。心の中で反省し、諸条件に最も適した対応を検討するのです。

 自分の理性を働かせ、良心に従い、自然体を貫き、不自然さを伴わないよう配慮することです。