償いと試練編㉕

 その人の真理に反する考え方を改めさせるため、もうダメだというところまで人を追い詰めたのち、窮地から救うことができるのは天の御父の御業です。

 彼の霊の向上進化を祈り、今の彼に必要不可欠なものであると知りながらも、彼が抱く苦しみに向け涙を流しながら事の顛末を見守っていた彼を補佐するものたち、すなわち、彼の守護霊は、彼の魂に受け入れ体制が整ったと見受けるやいなや、彼を救う人間を派遣しました。

 その者は、彼が真理を得ていない者の一人と高をくくり、見下していた人物でした。彼の職場の上司です。

 この上司は、彼の扱う案件が問題を含むことであると認めると、所属内で対策会議を開きました。この打ち合わせに彼は参加し、心の中を吐露したのです。また、彼の職責以上の判断が求められる事項であるとして、この時初めて上席に対応してもらいたいと願い出ました。

 結論として、それまで彼を徹底的にこき下ろしていたWは、彼が担当を外れたと知ると不思議と沈静化したのです。それだけではなく、本件に関して決定的な権限がある関係者等から、Wの事業を決して認めないとする連絡が多数入るようにもなりました。

 これらは結論として彼を援護する意見となり、そのような意見があることを知ったWは、最後に捨て台詞を残して立ち去り、事態は急速に沈静化したのです。

 さて、一連の問題が解消に向かい始めた日の昼頃のことです。

 彼をそれまで包んでいた暗黒の霧は、その日の晴天のようにきれいに拭い去られました。

 これは、彼の抑圧されていた精神が解放されたことによって神経伝達物質が脳内で分泌されたことにもよりますが、同時にWが彼から離れていったことを契機として、彼の守護霊が立ち働き、これまで彼を害していた悪しき霊の接近を許さなくなったことにもよります。

 このとき、彼は喜びに包まれていました。同時に、彼はこれまでの恥ずべき自尊心を思い知らされました。実際に、彼は真理なしとして彼が批判していた上司に救われたのです。

 彼は職場の前の信号機のない交差点にいました。秋空の晴天のなか、彼が歩道から道路に足を踏み出したとき、彼は確かに脳内で響き渡る声を聞きました。

「もっと謙虚になりなさい。」

 それは電光石火のごとく彼の脳内を駆け巡る閃きでした。

 そして彼は涙するなか理解したのです。これまで自分がいかに自尊心高く傲慢であったか。真理の一端をのぞき見たに過ぎない自分が、真理のうわべを装い、真理の名をかたり人をさげすむという大罪を犯していたか。

 彼は苦渋の体験を経て、人に謙虚になることの意味を理解しました。

 彼の守護霊が真理の知識を得た彼に対し、真理探究の道の初期段階において謙虚さを学ばせたのには理由がありました。肉体を持とうと持つまいと、人のために尽力し、東奔西走する霊というのは基本的に謙虚で慎ましいのです。彼らは、自身の存在が神の意志に基づくものであり、神という絶対的存在なしには、自らも存在し得ないことをその精神構造の中に組み込まれているのです。

 愛・寛容・慈悲・奉仕といった善の性質を学び実行するには、高慢や傲慢な性格の持ち主では不可能なのです。だから、彼の守護霊は、彼のなかの高慢を苦しみという灼熱で焼き払ったのです。高慢というサビを取り除き、痛みを伴い磨き上げて内側から出てきた純金が彼にとっての謙虚さであり、慎ましさだったのです。