その日出来ることを一生懸命行い、最大限ベストを尽くして過ごすこと。
私がすべきことは食べることに専念するのではなく、その日にできる仕事を一生懸命行うこと。
救済を求め神に祈るところに神がいるのではない。悩みながらも、苦悶にあえぎながら日常生活を送るところに神はいる。
天にまします・・・と神に祈ることが祈りではない。確かに二千年前にはそのような祈りがあったかも知れないが、今ではもはやその祈りは形だけとなり不自然さすら漂わせる。現在の神への自然な祈りとは、日常生活を一生懸命行うこと、それ自体が祈りであり、神の務めを果たすことである。
神へ救済を祈る前に、まず自分が出来ることを一生懸命行うことである。神の存在を身近に感じながら、ベストを尽くすことである。