神と仏編㉚ー2

 私は、アメリカ合衆国の軍事組織である通称「ネイビーシールズ」に36年間在籍しています。その基礎訓練は六ヶ月に及び、柔らかい砂の上でのランニングや深夜における冷水の中での水泳、障害物コースなど、訓練に次ぐ訓練の日々であり、眠れない毎日を送り、常に寒く、常に濡れていてみじめな気持ちでした。

 私たちの周りには、常に私たちを諦めさせようとする屈強な教官たちがいました。教官は同時に、恒常的なストレスや無秩序、失敗や苦しみといった環境の中で、リーダーシップを発揮できる訓練生を探していたのです。

 私にとっては、シールズの訓練は六ヶ月に詰め込まれた挑戦の時期でした。ここに私がシールズの訓練から学んだ教訓があります。あなた方が人生で先へ進むにあたって、きっと役に立つでしょう。

 シールズの訓練では、毎朝教官であるベトナム戦争を体験した退役軍人によって、ベッドのチェックが行われました。角は四角くなっているか、シーツはシワなく伸びているか、枕は正規の場所に置いてあるかなどを見られました。

 それは単純で平凡な仕事ですが、私たちは毎朝完璧を求められました。その当時は馬鹿馬鹿しく思えました。私たちは真の兵士、戦闘のために鍛え上げられたシールズを高く志していたからです。しかし、この単純な作業が本物であると何度も思い知らされました。ベッドを整えると、その日の最初の仕事を完了したことになり、それだけで褒められたような感じがするので、その次の仕事も頑張れるような気になるのです。そして、一日の終わりには、ひとつの仕事の達成が積み重なって、いくつもの仕事が達成されます。小さなことを正しく行えないのなら、大きなことを正しく行うことなど決してできないでしょう。

 もしも惨めな一日を過ごしたとしても、家に帰ると自分が整えたベッドが待っています。そして、そのベッドがあなたに明日をより良くする勇気を与えてくれるでしょう。だから、世界を変えたければ、ベッドメイキングから始めましょう。

神と仏編㉚ー1

 元アメリカ合衆国海軍大将 ウィリアム・マクレイヴン氏 演説 テキサス大学

 

 この大学のスローガンは、「ここで始まることが世界を変える」です。今日をもって約8,000人の学生が卒業します。ある分析会社によると、人間はその人生で約1万人の人々と出会うそうです。

 1万人というと、とても多い人数です。もし、あなた方全員が、そのうちのたった10人の生き方に影響を与えその人生を変えれば、そしてまた、その次に他の10人の人生を変え、そしてまた他の10人、と100年続いていけば、ここにいる卒業生は約8億人の人生を変えることになります。8億人です。アメリカ合衆国の人口を2倍以上上回る人数です。やがては、世界の人口80億人すべてを変えることができるのです。

 「夢物語だ、10人の人格に影響を与え、その人生を変えてしまうことなど不可能だ」と思うのなら、それは間違いです。イラクアフガニスタンなどの戦地では毎日起きていることなのです。ある部隊の指揮官は、待ち伏せ攻撃される道路を避けたことから、彼の指揮下にある10名の兵士を危険から遠ざけました。ある女性の下士官は、歩兵小隊を路上に仕掛けられた爆弾から遠ざけることで、12名の兵士の命を救いました。この時、この指揮官や下士官は、兵士だけでなく彼らの子供や孫たちをも救ったことになるのです。何世代もの人々が、たったひとりの決断によって救われたことになります。

 このように、世界を変えることはどこででも、また、誰にでも出来ることです。いま、この場所で始まることが本当に世界を変えうるのです。

 年季の入った海軍軍人の発言を許してもらえるなら、ここでいくつか提案があります。いまから申し上げる教訓は、私が軍隊時代に学んだものですが、職業や性別、民族、宗教、社会的地位に関係なく共通する教訓です。この世の困難はすべて似たようなものであり、それらを乗り越え前進するための教訓はすべて等しく当てはまるものです。

神と仏編㉙

A「地上生活の苦しみが霊を鍛錬するために課せられる訓練だとすると、その訓練課程で得られる教訓は、地上の軍隊の体験で得られる教訓と重なるのではないでしょうか。」

B「地上の体験は、すべてその人の向上に役立つために存在します。その体験によって得られた教訓は魂の進化に資するでしょう。あなたがその教訓に対し価値を覚えるならば、それはあなたにとって真実です。」

A「その考えには同感できます。私はしばらくの間、地上の軍隊での経験や体験による理念や教訓を参考にしたいと思います。」

神と仏編㉘

A「今から語ることは、絶対普遍の事柄ではありません。今のあなたの心境に応じて、魂の成長に資することができる最もふさわしい考え方です。いつかあなたが成長する過程のどこかで、あなたの理性にそぐわない日が訪れますが、そのときは躊躇なく捨ててしまってください。」

B「どのような考え方でしょうか?この苦しみに対処することができるものでしたら何でも歓迎いたします。」

A「あなたは神の大いなる目的を達成するために編成された特別な部隊の一員であるということです。しかし、一員とはいっても、まだ訓練課程の練習生です。その部隊の隊員にはあらゆる環境下において、神からお許しのあった任務を遂行しうる強靱な肉体と屈強な精神が要求されます。

 そのような特殊任務を遂行できる隊員を育成するために課される訓練は、彼らの限界を試されるので辛く厳しいものです。落伍者は常にあり、けが人はもちろん、残念ですが時には死亡する者まで出るでしょう。

 肉体に負荷をかけ鍛え上げ、苦しみに常時漬からせ精神を鍛える。その訓練が目指すところは、己一人の最強ではありません。いかなる困難な状況であろうと動じることなく冷静に判断し、その任務を遂行するために同胞を助け周囲に手を差し伸べることができるような、そのような精神の持ち主となることを最終的な目標とします。」

B「いま仰ったことは例え話ですね。」

A「はい、そうです。部隊の訓練といっても、人を殺して物を破壊するような部隊ではありません。慈愛の最大の顕現であられる神が、人類を救済すべく創造した計画を遂行するための部隊です。その部隊の武器は銃や剣ではありません。神から授かった愛を携え任務を遂行します。」

B「しかし、神がその場にいて陣頭指揮を執るわけではないでしょう?」

A「神から派遣された指揮官が指揮をとります。」

B「その部隊の隊員に求められる判断基準はどのようなものですか?」

A「それは次のようなものです。

 ①その意思決定のほとんどを次の順序に従って行うことです。つまり、任務の役に立つか、部隊の役に立つか、自分はどうすれば役に立つか、ということです。例外は、いくら任務の役に立つからといって、その選択のリスクが明らかに大きく、道徳的、法的、倫理的な破綻をもたらすことが明確である場合は、その選択を避けます。

 ②課題には正面から取り組むこと。抵抗が最も大きい道は、それを乗り越えたときにチーム全体が強大な力を得るからです。

 ③考えを共有化し、作戦を遂行する理由を説明し、チームに質問を求めること。

 ④自分の感情的、精神的な状態は自分で選ぶこと。自分がどのように感じ、何を考えるのかを決めるのは自分であって、最善の結果に結びつく姿勢を自ら選ぶこと。

 ⑤必要になる前に、助けを求めること。」

B「ご説明ありがとうございました。しかし、これまでのお話を聞いていると、特殊任務に従事する隊員個人の訓練というより、その部隊の指揮官を養成するための訓練のように受け取れるのですが、気のせいでしょうか。」

A「いえ、気のせいではありません。あなたは死後、神が構成する特殊作戦部隊の指揮官になるのです。あなたの指揮を待つ部隊員が大勢待っているのです。あなたが地上で味わった苦しみを侮ってはいけません。それらはすべて、あなたが死後に指揮官となるために必要で過酷な訓練なのです。」

神と仏編㉗

A「いかに知り合いといえど、その人が私よりも肉体的な遊行に興じているのを目の当たりにすると虫唾が走ります。私がいかに霊的知識に触れているからといって、肉体の欲求がなくなるわけではありません。おなかは減りますし、性欲も高まります。」

B「人間が肉体を通して得るすべての物的体験は、その人間に必要だからこそ神が与え賜うのです。そして、霊的知識を多少なりとも得ている者は、その身を引いて、他人にその物的体験の機会を譲らなければなりません。人が体験するその機会を奪ってはなりません。多少なりとも霊的知識を得ているものは、常に自分を犠牲にする行動を選び続けなければならないということです。」

A「その体験を譲ることで犯罪につながることになってもでしょうか?」

B「あなたがそこまで予見することができて、それでいて放っておいたとしたらそれは罪深いものです。犯罪を防止することができる場合や、誰かが悲しむのを未然に防止することができる場合は、それはあなたに課せられた使命とも言えます。」

A「どんな過激な手段を使ってでも止めるべきでしょうか?」

B「あなたが霊的に責任を負うのはあなたの行動に対してのみです。あなたがその時に考えられる手段のうち、あなたの良心が許す範囲の行動を取ることです。それでも止められなければ、その後にその行為の責任を取らされるのは、それを行った張本人です。」

神と仏編㉕、㉖

25

A「私は家庭に関することで、できると思うことをやり尽くしました。しかし、私の窮状は一向に改善されません。改善されないどころか、むしろひどくなっているように思えます。」

B「行動すればするほど裏目に出てしまう。そのように見受けられますがいかがですか。」

A「そのとおりです。泣けど叫べど原因者である私の妻には伝わりません。事態は悪化する一方です。」

B「心中をお察しします。」

A「どうすれば事態の悪化を防ぐことができるのでしょうか。」

B「あなたの事態が悪化したとして、あなたの霊に何か支障があるのですか?支障があるのは、あなたの肉体ではありませんか?いつかあなたは誓ったではありませんか。『自分を犠牲にして他人のために尽くすのだ』、と。そのチャンスが訪れているのです。

 例えば、あなたに食べるものが用意されず、その胃の痛みにあなたが苦しむとしましょう。物質的で信仰が乏しい人間ならば、その体験は霊にまで悪影響を与えるでしょう。しかし、あなたは違います。神の爪の先のほんのわずかではありますが、その栄光を仰ぎ見ることを許されています。肉体は苦しめられても、どこかで無傷の魂が立ち続けているのを感じているはずです。」

A「確かにそのとおりです。しかし、いざ苦しみが降ってかかると、その思いは風前の灯火のように消し飛んでしまいます。」

B「今のあなたが、かつてのあなたを振り返ったとき、よくあの程度の信仰で神を信じているといえたものだ、と思うはずです。今のあなたも、未来のあなたから見ればその程度の神への信仰です。」

A「・・・」

B「あなたはいま、神を信じると発言する一方で、神が采配しあなたにお指し向けなさった苦しみに対し、根を上げてしまっている状況です。これで本当に神を信じると言えるのでしょうか?」

A「・・・」

B「口だけで神を信じますというのは簡単なことです。知識があれば、誰にでもできます。しかし、心から信じるとなると話は別です。神を心から信じるためには、人は苦しみと試みの体験を経て、知識を信仰に変えていかねばなりません。」

A「・・・はい。」

B「それでは、あなたが投げかけられた当初の質問にお答えします。どうしたらあなたのご家庭の事態が悪化することを防ぐことができるか、ということでしたね。」

A「はい。たしか、そのようなことを質問したと思います。」

B「答えは単純です。あなたがその窮状のすべてを背負って、その肉体でもって損害をすべて受け止めれば、事態は悪化しません。あなたの犠牲をもってそこでお終いにしてしまえば、事態は悪化しません。あなたは、必要以上にあなたの肉体を守ろうとするから余計に事態の悪化を招くのです。」

A「しかし、それではさらに歯止めがきかなくなることが予想されますが・・・」

B「あなたは、神を信じるのですか、それとも、強情な人間があなたの言葉によってすぐに改善を見ることを信じるのですか。心から申し上げますが、魂を向上させ、他人の性根を改善することができるのは神のみができる御業です。私どもは、その使者に過ぎないのです。

 そして見てみることです。26 神の隠密は地上の低き階層にて研鑽を重ね、その知識と体験をもって真理を唱道する。

神と仏編㉔

A「魂を成長させるためには、まず何から始めるべきでしょうか?」

B「まずは自分の心から始めるべきです。自らの行動を戒めるのです。人に馬鹿にされるような、相手にされなくなってしまうような軽率な行いは避けることです。誰にも信念を持って丁寧に接し、愚痴や不平をこぼさず、ひたすら自分の義務を全うする姿こそ、人の尊敬を集めるものです。」

A「人の幸福を心から祈ることは、魂の成長につながるでしょうか?」

B「それが心からの祈りであれば、いつかどこかで誰かの役に立つでしょう。しかし、形式だけの、日常生活における実践を伴わず、ただひたすらに意念を集中させるだけの祈りは時間の無駄です。それだけではありません。そのような祈りは偽善であり害が大きいのです。」

A「正しい祈りの基準というのはあるのでしょうか。たとえば、相手に確かに届いたならグリーンライトが点滅するというような、そういう分かりやすいシグナルがあれば助かるのですが。」

B「本当にその祈りが真心からのもので、純粋で正しい祈りかどうかは神のみぞお知りになる事柄です。しかし、本当に必要な祈りというものは、人間が日常生活を送るなかですでに行われています。自分の限界に対峙し、その限界を広げるために生じる苦しみに相対する者は、その心の中の叫びにおいてすでに神へ祈りを捧げています。」

A「そういえば、手を合わせてお地蔵様にお祈りしてきました、などと言って報告してくるのんきな日和見者がいますが、その祈りによって改善を望むその女性に実際に苦しめられているのは、この私です。

 その女性は私の妻です。妻のその行いは、時に私をを苦しめますが、他人から見ればその行為は彼女の品を下げ、馬鹿にされ、誰からも相手にされなくなることは明白です。彼女自身はそうとは知りません、知りようがありません。彼女のような人とは、言葉を同じくするが、霊においては別の人種です。私の言葉が彼女らの霊に刻まれることはありません。決してありません。彼女らの魂が自らその言葉を必要として渇望するまでは、彼らの心に記憶されることはないのです。」

B「今から私が申し上げることは、あなたの反感を買うものと承知の上で言いますが、あなたがそうやって体験してきた苦しみの事柄自体は、すべて諸行無常です。あなたが地上を去れば、その苦しみを知る者はいなくなります。その苦しみを語り伝える者もいなくなります。そうなると、もはやその苦しみが本当に存在したのかどうかさえ確証はありません。しかし、霊は永遠不滅の存在です。霊が永遠の存在であれば、霊が得た経験も永遠です。

 神は自身が気に入らない者にだけ太陽を見せずにおくのでしょうか。気にくわない者にのみ風雨にさらすのでしょうか。神が不平等な御方なのではありません。あなた方人間が不平等なのです。心から言いますが、あなたにとって気に入らない者の進化なくしてあなたの向上はあり得ません。あなたを害する者が体験する霊の向上に資するすべての地上的体験は認めるべきです。あなたの妻が、あなたの気分を害する行いをすることは、彼女の魂にとって必要な体験なのだから短気を起こしてはなりません。」

A「それはわかりますが、私はいつまで待てばよいのでしょうか。いつまでこのくだらない境涯に耐え忍ばなければならないのでしょうか。」

B「彼女のそのような行動が永遠に続くとでも言うのでしょうか。永遠だというのであれば矛盾が生じます。彼女の行動は肉体を基本とします。肉体である以上有限です。肉体はいつか終わりを迎えます。肉体が永遠であるはずはありません。肉体を持ったあなたは有限な存在です。有限な存在であるあなたは、短絡的に永遠を定義付けないことです。この地球でさえ、銀河の果てから見れば、80㎞の1㎜にも満ちません。

 霊は永遠の存在です。一億年、二億年など目ではありません。永遠なのです。その永遠の魂が、わずか80年、90年ばかりの地上生活を得るために、わざわざ地上の生活を選択するのです。それだけ地上の体験は魂にとって貴重だということです。」