神と仏編㉔

A「魂を成長させるためには、まず何から始めるべきでしょうか?」

B「まずは自分の心から始めるべきです。自らの行動を戒めるのです。人に馬鹿にされるような、相手にされなくなってしまうような軽率な行いは避けることです。誰にも信念を持って丁寧に接し、愚痴や不平をこぼさず、ひたすら自分の義務を全うする姿こそ、人の尊敬を集めるものです。」

A「人の幸福を心から祈ることは、魂の成長につながるでしょうか?」

B「それが心からの祈りであれば、いつかどこかで誰かの役に立つでしょう。しかし、形式だけの、日常生活における実践を伴わず、ただひたすらに意念を集中させるだけの祈りは時間の無駄です。それだけではありません。そのような祈りは偽善であり害が大きいのです。」

A「正しい祈りの基準というのはあるのでしょうか。たとえば、相手に確かに届いたならグリーンライトが点滅するというような、そういう分かりやすいシグナルがあれば助かるのですが。」

B「本当にその祈りが真心からのもので、純粋で正しい祈りかどうかは神のみぞお知りになる事柄です。しかし、本当に必要な祈りというものは、人間が日常生活を送るなかですでに行われています。自分の限界に対峙し、その限界を広げるために生じる苦しみに相対する者は、その心の中の叫びにおいてすでに神へ祈りを捧げています。」

A「そういえば、手を合わせてお地蔵様にお祈りしてきました、などと言って報告してくるのんきな日和見者がいますが、その祈りによって改善を望むその女性に実際に苦しめられているのは、この私です。

 その女性は私の妻です。妻のその行いは、時に私をを苦しめますが、他人から見ればその行為は彼女の品を下げ、馬鹿にされ、誰からも相手にされなくなることは明白です。彼女自身はそうとは知りません、知りようがありません。彼女のような人とは、言葉を同じくするが、霊においては別の人種です。私の言葉が彼女らの霊に刻まれることはありません。決してありません。彼女らの魂が自らその言葉を必要として渇望するまでは、彼らの心に記憶されることはないのです。」

B「今から私が申し上げることは、あなたの反感を買うものと承知の上で言いますが、あなたがそうやって体験してきた苦しみの事柄自体は、すべて諸行無常です。あなたが地上を去れば、その苦しみを知る者はいなくなります。その苦しみを語り伝える者もいなくなります。そうなると、もはやその苦しみが本当に存在したのかどうかさえ確証はありません。しかし、霊は永遠不滅の存在です。霊が永遠の存在であれば、霊が得た経験も永遠です。

 神は自身が気に入らない者にだけ太陽を見せずにおくのでしょうか。気にくわない者にのみ風雨にさらすのでしょうか。神が不平等な御方なのではありません。あなた方人間が不平等なのです。心から言いますが、あなたにとって気に入らない者の進化なくしてあなたの向上はあり得ません。あなたを害する者が体験する霊の向上に資するすべての地上的体験は認めるべきです。あなたの妻が、あなたの気分を害する行いをすることは、彼女の魂にとって必要な体験なのだから短気を起こしてはなりません。」

A「それはわかりますが、私はいつまで待てばよいのでしょうか。いつまでこのくだらない境涯に耐え忍ばなければならないのでしょうか。」

B「彼女のそのような行動が永遠に続くとでも言うのでしょうか。永遠だというのであれば矛盾が生じます。彼女の行動は肉体を基本とします。肉体である以上有限です。肉体はいつか終わりを迎えます。肉体が永遠であるはずはありません。肉体を持ったあなたは有限な存在です。有限な存在であるあなたは、短絡的に永遠を定義付けないことです。この地球でさえ、銀河の果てから見れば、80㎞の1㎜にも満ちません。

 霊は永遠の存在です。一億年、二億年など目ではありません。永遠なのです。その永遠の魂が、わずか80年、90年ばかりの地上生活を得るために、わざわざ地上の生活を選択するのです。それだけ地上の体験は魂にとって貴重だということです。」