神と仏編㉕、㉖

25

A「私は家庭に関することで、できると思うことをやり尽くしました。しかし、私の窮状は一向に改善されません。改善されないどころか、むしろひどくなっているように思えます。」

B「行動すればするほど裏目に出てしまう。そのように見受けられますがいかがですか。」

A「そのとおりです。泣けど叫べど原因者である私の妻には伝わりません。事態は悪化する一方です。」

B「心中をお察しします。」

A「どうすれば事態の悪化を防ぐことができるのでしょうか。」

B「あなたの事態が悪化したとして、あなたの霊に何か支障があるのですか?支障があるのは、あなたの肉体ではありませんか?いつかあなたは誓ったではありませんか。『自分を犠牲にして他人のために尽くすのだ』、と。そのチャンスが訪れているのです。

 例えば、あなたに食べるものが用意されず、その胃の痛みにあなたが苦しむとしましょう。物質的で信仰が乏しい人間ならば、その体験は霊にまで悪影響を与えるでしょう。しかし、あなたは違います。神の爪の先のほんのわずかではありますが、その栄光を仰ぎ見ることを許されています。肉体は苦しめられても、どこかで無傷の魂が立ち続けているのを感じているはずです。」

A「確かにそのとおりです。しかし、いざ苦しみが降ってかかると、その思いは風前の灯火のように消し飛んでしまいます。」

B「今のあなたが、かつてのあなたを振り返ったとき、よくあの程度の信仰で神を信じているといえたものだ、と思うはずです。今のあなたも、未来のあなたから見ればその程度の神への信仰です。」

A「・・・」

B「あなたはいま、神を信じると発言する一方で、神が采配しあなたにお指し向けなさった苦しみに対し、根を上げてしまっている状況です。これで本当に神を信じると言えるのでしょうか?」

A「・・・」

B「口だけで神を信じますというのは簡単なことです。知識があれば、誰にでもできます。しかし、心から信じるとなると話は別です。神を心から信じるためには、人は苦しみと試みの体験を経て、知識を信仰に変えていかねばなりません。」

A「・・・はい。」

B「それでは、あなたが投げかけられた当初の質問にお答えします。どうしたらあなたのご家庭の事態が悪化することを防ぐことができるか、ということでしたね。」

A「はい。たしか、そのようなことを質問したと思います。」

B「答えは単純です。あなたがその窮状のすべてを背負って、その肉体でもって損害をすべて受け止めれば、事態は悪化しません。あなたの犠牲をもってそこでお終いにしてしまえば、事態は悪化しません。あなたは、必要以上にあなたの肉体を守ろうとするから余計に事態の悪化を招くのです。」

A「しかし、それではさらに歯止めがきかなくなることが予想されますが・・・」

B「あなたは、神を信じるのですか、それとも、強情な人間があなたの言葉によってすぐに改善を見ることを信じるのですか。心から申し上げますが、魂を向上させ、他人の性根を改善することができるのは神のみができる御業です。私どもは、その使者に過ぎないのです。

 そして見てみることです。26 神の隠密は地上の低き階層にて研鑽を重ね、その知識と体験をもって真理を唱道する。