受難と実践編⑫~⑬

12
 自分を守るために怒る者は、人を許すことができていません。人を許すということは真に寛容でなければできません。

 寛容であるためには、自分が被る被害や損失を意に返さない勇気が要ります。よって、人に優しい者は勇気を持つ者です。自分のことで怒る者は真実を知らないが故に臆病なのです。
 勇気とは神を信じ、あらゆる損失を怖れず日常生活を送ることです。

13
 霊が成長するということは、それ自体が自然な現象です。
 成長のためには一度後退し、苦しみを伴う環境に身を置かなければなりません。
 これは、霊が地上の肉体に宿り、低き環境に身を後退させることで苦しみを得るのと同じです。
 身を後退させている間、彼はその環境に従わなければなりません。それは自己犠牲という単なる名称を超えた一種の試練です。彼は自らの行為の責任を全うするため、その痛々しい感覚に身をさらします。
 彼らは死後もその性格を携えたまま彼らに相応しき場所で生活します。彼らは彼らの心に現実的な変化が訪れるまでその暗黒の環境に留まり続けるのです。
 しかし、霊が永遠の存在であるという原則に照らして見てみれば、彼らはいつか、彼らの類魂であり本霊が意図するところの水準にまでその輝きを増し、そこに栄光の勝利者として光り輝く愛の称号が与えられ、その立役者として永遠に名が刻まれることでしょう。