償いと試練編㉜

 そのような日が数日続いたある日、彼はやはり娘をあやすため、ひとりで娘を抱え散歩していました。この際には、過度に物質に執着する彼の妻から彼へ次のような指示が与えられるのです。

  • 彼の財布の中に一万円を入れておくが、緊急時以外は使用しないこと。使用する場合は、妻に連絡すること。このことから、事実上、途中のコンビニ等で娘に何かを買い与えることができない。
  • 娘に靴を履かせてもよいが、抱っこする際にはその靴底が彼の体についてはならない。これは靴の底が汚いためである。したがって、事実上、靴を履かせたら娘がぐずっても抱っこはできない。
  • 靴を履かせ、歩く場合は、必ず手をつなぎ、これを離してはならない。
  • 彼の車は、ガソリン代を節約するためにこれを使用してはならない。ただし、妻の了解がある場合を除く。

 これらの取り決めを犯すと、彼の妻は発狂に近い状態となって彼を罵倒しました。そのため、彼の娘が外出したいとせがむとき、彼は車が使えず、お金も使えず、自由に歩かせることもできずといった制約に囲まれていたのです。

 このとき彼は、外に出て散歩したがる娘の要望をかなえようと、娘を抱っこし、その状態で一時間程度、距離にして二キロほど散歩していたのです。

 その肉体が悲鳴を上げ疲労困憊で帰宅した後も、彼の妻からは、日常生活の不満に端を発する言葉が発せられ彼を侮辱し、彼がその苦しみに絶望の声を上げ、灼熱の炎で燃やされるような心の痛みに耐えられなくなったとき、彼は心から御父に助けを求めました。

 残念ながら、こうした日常生活の試練を経なければ、霊と真理の接続通路は整備され得ないのです。

 そして、このとき彼は確かにこう聞きました。

「それらの試練には目的がある。」

「すなわち、ひとつでも多くの真理を地上に普及させるため、その地上での受け手となる霊を教育し、真理の通信経路を確保するためである。これは苦しみを伴い、まさに地上人類のために我が身を犠牲にする崇高な自己犠牲であり、自己鍛錬の道である。なぜなら、さらに多くの純粋な真理を受け取るには、その内容に適合するだけの純粋性がその者に求められるためである。」

「純粋性を得るには、さらに多くの苦難によって霊が鍛え上げられなければならない。霊にまとわりついた不純な部分は燃やし尽くさねばならない。」

「これらの崇高の目的があることを理解したうえで、迫害者達の言葉を受け止めよ。物質的損害を恐れてはならない。彼らは声が大きいのでよく目立つが、その言葉は真理に乏しいので大した影響はない。」

「しかし、心得よ。貴方を害することを喜びとする未発達霊による迫害や苦しみは、その時の貴方にとって並大抵のものではない。かならずや貴方の心に御父への疑念を持たせるほどのものとなる。」