人はかつて自分が犯した罪の大きさと同じ罰を受けることになっています。
ところで、自然法則によると、罰を受けた後はその原因となる罪を犯した時点の自分よりも、向上の階段を数段上がった所にいることになります。
ならば、かつて低い位置にいたころの自分が犯した罰を、現在の高き自分が背負いきれない理由がどこにあるというのでしょうか。
低き自分が行うことが出来ることはたかがしれているのだから、それを原因とする罰もその程度に収まるはずです。これが、神は背負いきれない荷物を背負わせることはないと言われていることの根拠です。
この理屈は、霊の進化向上があってこそ成り立つものです。そのことを心から常に信じ続けることです。これは自然法則を信じることに等しいことです。自然法則は神なのですから、自然法則を信じることは神を信じることになります。
人はそれまでに得た神理の大きさに応じてその責任を負います。人は必ず罪を犯します。仮に、現在のあなたが感じる罰が重いと感じるならば、それだけ向上の道を歩んでいるということになるのです。