崩壊と創造編⑦

 人は皆、心を穏やかにさせてくれるメッセージを追い求めます。あなた方の周辺を見てみれば、そのようなメッセージはいくらでも見受けられるはずです。皆、心が求めるものは共通しているからです。大ヒットしている映画や物語、音楽、絵画にはそのメッセージにあふれています。その霊的な意味を探ることです。意味が分からなかったとしても、その作品に触れると自然に心温まり、気分が新たになるはずです。

 かつて、私たちが霊的なメッセージを手に入れるためには、ラップ現象や自動書記通信などの超人的現象や超常的現象に頼らざるを得ないところがありました。しかし、現代はそのような手段に頼らなくてもよい段階に入りました。ひとりひとりがそれぞれの方法で独自に道を極め、それぞれに最も適した霊的メッセージを日常生活の中で受け取ることが出来る時代となったのです。

 ただし、犠牲なくして受け取れるものは価値がありません。価値あるメッセージを受け取るには霊的作用が必要です。霊的作用が働くためには、自分の物的環境の多くを犠牲にしないといけません。多大な犠牲を払い受け取ったものだからこそ価値があるのです。

 1900年代初頭に行われた霊的通信にて得られた膨大な霊言は価値あるものです。その中の1つにでも、受取手の意識が明瞭ななか行われたものがあるでしょうか。これからは地上の人間が自ら、直接霊からメッセージを受け取ることが出来る時代です。それによってこれまで以上に膨大なメッセージが地上に流れ込むことになります。

 そのためにはさらに犠牲が必要です。犠牲とは罪を償うことです。苦しみに威風堂々と立ち向かうことです。

 成功と失敗の両方を経験することです。

 善と悪の道を両方理解することです。

 神に疑念し、神を信じることの間で葛藤することが必要です。