神と仏編㉓

A「私の今の家庭を取り巻く状況から判断すると、この苦しみはまさに呪いと呼ぶにふさわしいものであると考えられます。」

B「そこまで苦しいんですね。」

A「はい。毎日自分が試され、限界に立たされている思いです。」

B「それでは、ここで諦めてすべてを投げ出しますか?」

A「いえ、そのようなことは・・・・。そこまでは考えていません。この呪いともいえる境遇は、私が責任を持って墓場までもっていかなければならないと思っています。途中でこの呪いを放棄しては、私が知っている誰かのところにしわ寄せとして行くことは目に見えているからです。特に、私の娘にこの呪いを波及させるわけにはいきません。私の娘には、彼女なりに果たすべき経験があるのです。それは、この呪いの体験のことではありません。この呪いは、私の死と引き換えに清算すべきものです。」

B「それはとても勇気ある決意だと思いますが、誰かに助けを求めてもよいのではないですか?」

A「はい、考えられることはすべて行いました。しかし、その結果、この呪いは誰にも解決することができないものとの結論に至りました。私の呪いを解決できるのは私だけです。もちろん、周囲に助けを求めることは大事だと思います。そして、助けを求めた結果、ある人は人ごとのように傍観し、ある人は親切を装い内心ほくそ笑みます。ひどい人は、あからさまにこちらを侮辱してきます。私はそれを体験によって学んだのです。」

B「あなたに降りかかる苦渋の体験を総称して、呪いというのですね。」

A「はい。この呪いの呼び方はいろいろとあると思います。呪いという言葉が不適当であれば、義務とも言うでしょうし、自己責任とも言うでしょう。因果応報とも言えば、自分が自分に課した課題という人もいるでしょう。」

B「なんと呼ぼうが、その悲惨さには変わりありませんよね。」

A「おっしゃるとおりです。なんと言おうが、名称を定めることが本題ではありません。この呪いを次の世代に引き継いではならない。ただそれだけです。私がその肉体を犠牲にし、あらゆる犠牲を払ってでも処理をする。繰り返しますが、この因縁は、私が独りで墓場まで持って行きます。それによって、私の娘が必要以上に涙を流すことがなければそれで良いではありませんか。」

B「父親としての立派な務めのひとつですね。不思議ですね。本人からすると呪いのように感じるのに、他人が聞くと立派な務めを果たしているように聞こえるのですから。」

A「そう言っていただけると、多少は救われます。」