26
恩知らずの者には近づく必要もないし離れる必要もありません。好きなようにさせておくしかありません。
27
人の子がその時に及びつく限りの神理に従った結果、惨めになったとしたらそれは天が惨めだからです。
人の子がその時に及びつく限りの神理に従った結果、栄光に授かったとしたらそれは天の栄光です。
神はいらっしゃる。しかし、救いは無いのだとしたら、神理に従う盲目の人の子に責任はありません。
28
以前彼は、彼を真に愛する者によって腕を折られ、体中に裂傷を受けつつ命からがら前線から逃げ延びた。
満身創痍にもかかわらず、彼は与えられた任務を遂行するため、疑うことなく前線に復帰した。しかし、そこでもやはり傷を負い、時には引き返し、時には挫折した。
彼は手負いだった。彼は独りだった。やがて、コンクリートの長い縦穴に設けられたはしごを彼は独りで登らなければならなかった。それが目的の達成に必要だったからである。
彼はこれまで傷つき挫折したにもかかわらず、その手足はただただ動き続けた。
暗くじめじめした縦穴の中を這うようにして、疲れ切った体を引きずりながら上方へ、目的地へとひたすら邁進した。
夜の静けさと暗闇は恐怖であった。
しかし、私は信じて進まなければならない。自分の栄光のためではなく、信じる者へこの身を捧げる覚悟である。
たとえ私が一人になったとしても、私は歩み続ける。
苦しみは神のもとへ近づく手段である。
雨の中を進まなければならない時もある。
空腹に耐えなければならないときもある。
生活における試練と苦しみ
すべては、私たちが新しい光を見るその日のためにある。
29
あなたが動くとき、それは公のためである。
あなたが居るところ、それは公の場所である。
あなたが自らを捨て、周囲の意に従って動くとき、あなたに私的で個人的な願望など微塵も存在しない。
30
人は、自分の姿を鏡で見るように、他人のなかに自分を見たとき、不快感を感じる。その不快感は瞬時に怒りへと変貌する。
人が他人の姿を見て怒るときは、そこに自分の姿を見るからである。それはまるで磁石の同極同士が反発するのと同じである。