神と仏編⑪

 地上の体験を経て霊が成長する以上、その過程は千差万別であることが考えられます。肉体の物的満足を得て成長する霊や、食事や運動、仕事などの体験を経て成長する霊など様々です。霊の数だけ成長する道が用意されています。

 ところで、霊が成長すると言うとき、それはどういうことを指すのでしょうか。

 人生の長い試練によって、角張った性格が改められ、人格に丸みを帯びることでしょうか。

 自分を犠牲にして他人に尽くすことでその輝きを増すことでしょうか。

 いずれも限定的であり、たしかに霊の成長という概念に当てはまるのですが、だいたい一言でまとめると次のようにいえるのではないでしょうか。

 霊の成長とは、神に近づくことです。

 個々の霊が神に近づく独自の道がある中で、あなたの魂にとって必要な体験とされ、あなたが経験することは、神が厳選しあなただけにもっとも適した貴重なものであるから、他人にその基準や体験を説明してもまず理解を得られません。このため、あなたの霊的体験や知識を他人に説明してもまず理解は得られないでしょう。そこを期待してしまうと、あなた方は間違いなく孤独を味わいます。霊に関する知識や体験を共有しようとして周囲に同意を求めても、あなたは外国に独り取り残された日本人と同じです。

 神はあなたに直接アプローチをかけているのです。あなたが同意を求めるべき場所は、周囲の他人や物的環境ではなく、己の内側にあるはずです。

 自分を裁くのは自分の内側にある基準によって自分を裁きます。たとえ周囲が同意し賛同したとしても、神の目から見れば誤りであることがありますし、たとえ周囲が猛反発し、反対意見が噴出し理解が得られなかったとしても、神の目から見ればその行いは正しかったりする場合があるということになるのではないでしょうか。