神と仏編㉛

 ある隊員が語った軍事体験から得た教訓

 特殊部隊に身を置いていた頃の経験から、戦地における前線で最も危険なことがあります。それは、遮蔽物に身を隠さないことでも丸腰でいることでもありません。一番危険なことは、自分がパニックに陥ることです。パニックの恐怖心は、決断力や判断力を曇らせてしまうからです。

 パニックに陥らないようにするためには、自分がコントロールできることだけにエネルギーや時間を注ぐことです。アーチェリーの的のような二重の円があると想像してみてください。外側の円は、自分の関心事に関する円であり、的の中心にある小さな円は、自分が影響を与えることができる円です。

 多くの人が株式市場の動きやトイレットペーパーの在庫など、外側の円に時間やエネルギーを注いでしまいます。このような外側の円に属することは、自分のコントロール外のことです。これではエネルギーを使い果たし、人は簡単に潰れてしまいます。

 時間やエネルギー、努力を注ぐべきことは、自分が影響を与えられる小さな円に属することに絞るべきなのです。大きな円に属することに配慮し続けると、自分の言動を感情にまかせて決めてしまうことに繋がります。例えば、外国の状況に理由なく不安を感じたり、他人の動向に一喜一憂することは「外側の円」に入ります。しかし、それは自分のコントロール外の事柄なので「影響を与えられる円」には含まれません。

 一方で、人の多い場所への外出を避けることや、外出時にマスクと手袋を着用する、スーパーで買い占めはしない、などは、自分がコントロールできることなので「影響を与えられる円」に入ります。終わりが見えない状況下では、外側の円が大きくなっていくものですが、自分がコントロールできることや自分の影響下にあることは限られているものです。

 自分が影響を与えることができる中心の円に集中するのが、特殊要員が任務を遂行するために必要な基本的な心構えなのです。これは、私たちの普段の生活にも共通します。自分の世界を小さくし、時間も短く切って考える。特殊部隊の隊員を育成するための訓練では、身体を極限まで痛めつけ、疲労の極限に達したとき、その精神へどのような影響を与えるのか試されます。極限状態で自分よりもチームを大事にできるのかどうか、ということです。

 訓練の途中で脱落していく訓練生は、状況に耐えられなくなってしまうのです。つまり、自分の世界を小さくするのと正反対のことをしてしまうのです。「自分の世界を小さくする」というのは、「自分が影響を与えられる部分にだけフォーカスする」ということに重なります。惰性で続けているSNSを辞める、インターネットの使い方を見直し、自分にプラスになるものに絞る、くよくよ悩んでいた過去の出来事を手放し今に集中する。こうした精神的に活動について取捨選択し、「自分の世界を小さくする」ことが厳しい状況を乗り越える基本的な心構えといえます。

 特殊部隊の隊員を養成するための訓練に対しては捉え方が二つあります。ひとつは、180日間と考えること。もうひとつは、日の出入りが180回であるということです。丸いパイを見て、「一度にこれを全部食べなきゃいけないのか」と思うと意気消沈しますが、一切れずつ食べることに集中して、それを繰り返していけば、いつかは食べきれます。

 ネイビーシールズとして知られるアメリカ合衆国特殊部隊の訓練には、「地獄週間」というものがあります。これは日曜日の夕方から金曜日の午後まで続き、水曜日に2時間だけ睡眠時間が与えられます。これを5日間とまとめて考えるのではなく、食事時間で捉えるといった工夫をするのです。タスクや時間を消化できるサイズにして、どんなに身体が疲労していてもやることを小さく捉えて、諦めない。それだけなのです。

 第二次大戦中に捕虜となった隊員は、強制収容所に入っていた経験を語りました。クリスマスまでには収容所から出られるだろうと楽観的に考えていた人たちが、いつまでたっても解放や終戦の気配が見えず、少しずつ気力を失い死んでいったのです。一方で、生き残った隊員は、そのような考え方はせず、ただひたすら毎日を過ごし、終戦まで生き延び解放されました。

 これは、特殊任務に従事する隊員の考え方と重なります。世界を小さく自分のコントロールの範囲にして、時間軸を小さくすることによって予測がつかない状況を乗り越えるのです。

 特殊部隊で指揮官を務めた元隊員は、自分が軍隊で学んだことを一般の人々に伝えています。元隊員は、クライアントの一部が屈強な軍人がやってきて、ブートキャンプのようにチームのメンバーを怒鳴り散らすことを期待していることに気がつきました。「初期のクライアントの中には、『あなたがうちに来て、従業員を鍛え直してくれるのが待ち遠しいよ』と言った人もいました。私は、『そうですね。もし従業員を鍛え直してほしいのなら、別の人を雇うべきです。私は誰かを鍛え直すつもりはありません』と返答しました。」

 人に何かをしてもらいたいときに、鞭を打ってはなりません。打ちのめされた犬が残るだけで、打ちのめされた犬は役に立ちません。もしくは、打ちのめされた犬はあなたを噛むでしょう。そして、あなたが鞭を打っている人たち、奴隷のように扱われる人たちは、反旗を翻してあなたを死ぬほど苦しませるでしょう。

 「当時、私が所属していた部隊の指揮官は、専制的なリーダーで経験に乏しく、自信も足りませんでした。それを埋め合わせるために、彼は暴君のように振る舞っていたのです。彼の命令に隊員が質問をしても、彼は『いいからやれ』と返すだけでした。この隊員と同僚は、この指揮官に反抗しました。その指示に従うことを拒否し、司令官に彼らのリーダーは指揮官にふさわしくないと直訴したのです。」

 その結果、指揮官は解任され、別の人間に交代しました。

 「代わりに新しくやってきた指揮官は、経験豊富で能力も非常に高く、とても知的で同時に極めて謙虚でした。下で働く者にとっては素晴らしい人でした。そして、私たち全員が彼を喜ばせようとし、誇らしく思わせ、よく見せることだけを目指しました。2人のリーダーの違いを知り、私は『これは重要だ。気をつけなければ。』と思いました。」

 この隊員によると、人に指示に従うよう強いることは、しばらくの間なら機能するといいます。ただ、長期的にみて有効とは言えず、短期的に見てもメンバーの意見を聞いたうえで決断する方がうまくいきます。「こうするべきだと思うんだけど・・。」という声に対し、指揮官がその提案を検討し、「いいね、君の計画が気に入った。それでいこう。進めてくれ。」と決断する。この方が効果的です。

 なお、特殊作戦というものは予定通りには進みません。ほとんどの場合、予備策がうまくいくものです。このことから、日常生活においても仕事においても常に予備策を準備しておくことが賢明です。