償いと試練編⑪

 彼にしても、彼の父母や姉にとっても、それぞれ信じる対象があります。彼らには彼らにとっての御父がおられます。日本の八百万の神の概念は、このことを如実に言い表しています。

 荷物は、その大きさよりも小さい道路を通過することができないように、それぞれの御父は、人それぞれの理解の程度に応じた姿となります。より大きな神の姿を認識したいのであれば、その受け手である人間の理解力を大きくする必要があるのです。

 彼の母(B)にとっての天の御父は、人のために自分を犠牲にするといった利他主義ではありませんでした。このため、彼女は天の御父を信じることができず、結果として人に優先して自分を守ろうとしたのです。

 自分を守ろうとするならば、溜まったストレスは一刻も早く解消すべきです。周りの犠牲を考慮している場合ではありません。そして、その矛先を息子に向けたのです。

 自然法則に従うとき、将来彼女は同じように自分を守ろうとする者によって苦しめられることになります。自分がそのようにして人を苦しめたからです。

 「人は、人を苦しめた方法と同じ方法で苦しめられることになる。」とは、よく言われているとおりです。

 「彼女は、彼女を苦しめる者をどうして批判できるのか。彼女を苦しめる者は、彼女と同じことをしているに過ぎない。」

 以上が、彼が地上で育つことになった悪い木たちの概略です。

 もちろん、彼はその時そうと気づけませんし、彼を補佐する者達との通信経路も脆弱であったことから、その結果として日常生活において彼は不安を抱え、真理を受けることなく苦しむ者となりました。

 それでも真理に幼く乏しい彼の心は、その肉体の中にありながらも地上に降りた理由を直感しており、その良心の声にも従順だったので、地上に降りてから10年ほど経過したときにこう呟いたのです。

 「天よ、わたしに百の苦難を与えてください。」