受難と実践編⑥

 神は人の霊を二極性の環境に置きました。

 光と影、暖と寒、愛と憎、喜と悲、これらと同じように、人は地上で霊と肉の二極化に置かれています。

 愛、寛容、慈悲、奉仕、自己犠牲、理性、利他主義、これらは他人を優先しようとする霊の性質です。

 一方で、怒り、憎しみ、高慢、怠慢、自己中心、利己主義、これらは自分を守ろうとする肉の性質であり、地球上において人類が肉の進化を経てきた系譜が記されています。いわば、自分の肉体を守ろうとする本能です。

 苦しみは、これら霊の性質と肉の性質が同一人物内で衝突し、葛藤することから生じます。

 神は人がこのようにして葛藤することをお許しになられました。

 霊は、我々の理性そのものであり、我々が存在する理由です。

 肉体は、霊が地上で必要な体験を得るためなくてはならない道具です。

 どちらもおろそかにすることは許されていません。なぜなら、いずれも神がお許しになって人に与えたものだからです。