受難と実践編⑦

 自らの肉体を優先しようとする者は、自らの霊に苦しめられます。霊の本質は人を優先しようとするからです。

 人を優先しようとする者は、自らの肉体に苦しめられます。肉体の本質は自らを優先しようとするからです。

 このジレンマや葛藤が苦しみをもたらします。したがって、神がお許しになった自由意志でもって、人がいずれかを選択したとしても、人は進化向上するように出来ているのです。

 この葛藤によって生じる苦しみをあなどってはいけません。耐えきれると思ってはなりません。むしろ、苦しみを軽減する方法を全理性でもって考えるべきです。その苦しみが、怒りを原因とし、怒りによって葛藤が生まれ苦しみとなるのであれば、怒りに対処すべきです。

 二極性には必ず対極があります。

 怒りを鎮めるのは理性です。理性は知識に基づきます。理性と愛は同類です。よく言われているとおり、汝の敵を愛することです。汝を迫害する者を愛することです。そのためには、敵となった者の背後に潜む真相や事実を知らなければ理性は生じません。

 私たちは他人の番人ではありません。他人の行ったことで私たちに真理上の責任は生じません。

 私たちを害する他人の救済を望み、他人を愛することは時間がかかります。まずは、私たち自身を救済するため他人を愛するのです。こうして、まずは自分自身を教育してから、理性をもって他人を愛するべきです。

 他人を真に愛することで自分の肉体は苦しみますが、自分の霊は救われます。

 肉体はいずれ滅びるのですから、肉体の苦しみは滅びるまでの間の限られたものですが、霊の苦しみは違います。霊は永遠だからです。