開拓編⑫(葛藤の章)

 正しい生き方や人との接し方、真理といった人間にとって本当に価値があるものほど取得するのは難しいものです。楽に取得できるようではそこに価値はありません。
 人を愛するといったこともそのひとつであり、人類の至上命題です。それがあなたを害する者、いじめる者であれば、そのような人を許すということは不可能に近いことです。

 だからこそ、価値があるといえるのです。他人を愛することや許すといったことは、神が人類に与えた宿題のように思えます。

 彼女が所有する脳の機能制限によって、彼女は過去に生き、未来を生きることができません。彼女は人間としての権限を与えられていながら、その行動理念は、事実上動物のそれと等しくなってしまっているのです。

 動物は過去の習性や本能に基づき、極めて限られた認知能力でもって今現在の活動を営んでいるに過ぎません。その習性や本能を妨げようとするとき、動物性特有の凶暴な残忍さを発揮します。彼らに、未来に向けての計画だとか展望が立てられるはずがありません。なぜなら、未来へ向け計画を組み立て理性を働かせることこそ霊の機能にほかならないからです。

 真理を追い求め、理想に生きることは重要ですが、同時に私たちは日常生活において現実的な問題に常に対峙しています。この場合、彼女のその動物的凶暴性です。この凶暴性は実際に目の前に突き出された刃であり脅威です。この脅威に対して、私たちの選択肢は二つあります。すなわち、目の前で対峙するか、逃げるかのどちらかです。

 その選択に正解というものはありません。ただし、いずれを選択したからといっても、私たちが教訓を得られるよう神は配慮してくださっています。大切なことは選択の結果ではありません。結果はあくまで教訓です。大事なことは、この二つの選択肢の間で葛藤することなのです。葛藤こそ、神が人間に求めることなのです。すなわち、人間に与えられた理性を働かせて考えず、葛藤する機会が与えられたにも関わらず、それを放棄することこそ罪が深い行いなのです。