崩壊と創造編④

 怒りへの考察

 空腹などで脳が低血糖状態に入ると、思考回路に必要となる糖分が不足し、人は本能的に自分の肉体を守るため感情的になりやすくなります。つまり、怒りに反応しやすくなるのです。これは、食物を得ようと人体がその全機能を狩りの方向に向けることで準備を始めるためです。

 これは、肉体が有する自己保全のための自然な反応であって、別に今に始まったことではありません。人間が肉体を持つことになってから、皆怒りの感情と付き合ってきました。

 したがって、このような肉体の機能に逆らってまで、怒ってはならないと考えるのは誤りなのです。むしろ、怒るべきなのです。肉体の反応を無理に抑圧すると、別のところで違う反応が誇張されて表れるだけだからです。

 我々が怒ってはならないという時、その意味するところは、「人はこうすべきだ」と基準を設けることで、他人がそこから逸脱したことを理由に怒ってはならないとする意味に解すべきです。肉体の自然な反応に起因する怒りは抑圧すべきでないのに対して、自分の定めた基準に従って他人を裁くといったような範疇の怒りについては、やたらと発散すべきではなく、自分の霊で対処すべき怒りである、と区別することが大事です。

 イエスは瀕死の妹を霊的に治療しようとしたとき、まずは自分の肉体に栄養を補給し、十分に休息させました。その次に、イエスの霊に対しては、怒ってはならない、感情的になってはならないと命じられました。怒りの感情は病人を救い得ないことを知っていたからです。これについては、病気になれば分かることです。病人を治療するのはその人の優しさです。その優しさを統括するのは霊です。だから、イエスは妹を治療するうえで、自分の霊を怒らせてはならなかったのです。