神と仏編⑨

 人は進化しなければならないのです。天にまします我らが父・・・などと神に祈っていた時代はもう古く、すでに時代遅れです。さらには、自分が負うべき義務を免除してもらうための祈りなど時間の無駄です。

 現代の生活に適した祈りとは、

 日常生活においていたずらに人の気持ちを逆立てていないか。

 自分の社会的立場にこだわり、自分を過剰に防衛することで他人を必要以上に苦しめていないか。

 といったことを自分に問い質そうとする心のあり方そのものです。

 日常生活における困難や問題、課題に臆することなく正面から取り組み、対策し、その苦しみゆえに葛藤し悩み、調査し考え、可能な範囲で自分を犠牲にして人のために行動するときこそが神に祈っている時です。

 日本語の「祈る」という単語は誤解を招きやすいのかもしれません。「祈る」という言葉によって異なったイメージを抱きやすいのなら、代わりに「神へ言葉を贈る」とでも言いましょうか。艱難辛苦の果てに本当に神へ救済を求める必要があるのであれば、神とコミュニケーションを取ることです。

 その方法は、すでに人間に与えられています。特定の個人にのみ与えられているわけではありません。老若男女、障害がある者ない者、肌が白い者黄色い者、宗教の種類に関わらず全員に共通して与えられています。すなわち、日常生活を精一杯送ることです。「精一杯」の定義はそれぞれが理性を働かせ考え、設けなければなりません。失敗し、挫折し、絶望し、涙するその瞬間にこそ、人は神に祈っているのです。これが、神に言葉を贈るといったことの意味です。