2023-01-01から1年間の記事一覧

崩壊と創造編①

その日、彼は体調を崩し、熱は39度以上に上がり、間接はひどく痛み動くのが困難であり、寝返りを打つのがやっとでした。重要なのは、この風邪を子供にうつしてはならないということです。 彼が寝込んでしまうことで、子供を一人で見ることになった彼の妻は、…

開拓編⑯(葛藤の章)

この頃、彼は空腹により窮乏していました。 別に断食がしたくて好き好んで空腹状態になっているわけではありません。彼の資金は妻がすべて握り、朝食はなし、職場での昼食は、お弁当を作るとの名目で実際は、野菜の葉やリンゴの皮、珍しくパンやお米が入って…

開拓編⑮(葛藤の章)

例えば、1歳の時に両親に捨てられ孤児院に預けられた女の子は、10年経った後、11歳の時にこう言いました。 「灰色のような1日のおかげで、あたしが独りになって前に進めなくなったときほど、あたしはニヤッと笑って顔を上げてこう言うわ。「太陽は必ず上が…

開拓編⑭(葛藤の章)

全能者たる神は人間を非難しません。 したがって、人間同士がお互いを非難し合ったとして、神は微塵もお喜びになりません。 神は人がひとりで苦悶し葛藤することをお喜びになるのです。 それは人が障害を乗り越えようと勇気を持って挑戦する行いであり、少し…

開拓編⑬(葛藤の章)

私は、自分の子供の爪を愛するのではありません。自分の子供そのものを愛するからその爪も愛するのです。爪を愛するから子供を愛するのではないのです。 同様に、私は神を愛するからその子である人を愛するのであって、人を愛するから神を愛するのではありま…

開拓編⑫(葛藤の章)

正しい生き方や人との接し方、真理といった人間にとって本当に価値があるものほど取得するのは難しいものです。楽に取得できるようではそこに価値はありません。 人を愛するといったこともそのひとつであり、人類の至上命題です。それがあなたを害する者、い…

開拓編⑪(葛藤の章)

真理の開発途上にあるあなたの心には、いまだ神の采配への疑念が根深く残っています。だからこそ、日常的に訪れる憤りへは、その肉体の欲するまま、その苦しみを発散する方法を選択しがちなのです。 ここまで家庭環境が悪化し、こちらの損害はもとより手の打…

開拓編⑩(葛藤の章)

確かに、彼の妻の言動から察するに、彼女の感覚機能の一部はその機能が麻痺しています。それは、人がその体を管理するうえで必要な感覚の受け渡し機能です。例えば、お風呂に入れば爽快感がありますし、空腹を満たせば満足を得ます。また、気温が高く不快で…

開拓編⑨

他人と比べて、自分の行いが「まとも」だと自分で自分を正当化することは、やがて自分を苦しめることになります。自分が「まとも」だと自分で判断する基準というものは、常に相対的で周囲の環境によっていくらでも変わりうるのです。 あなたの肉体が苦しめら…

開拓編⑧

私たちがおぼろげながらもイメージする神に私たちは忠義を尽くします。神の偉大な設計なしでは、私たちはこの地上で肉体を有することなどできなかったからです。 この忠義の尽くし方は人それぞれですが、物質に必要以上に利益を求めていては尽くせるものも尽…

開拓編⑦

皆さんは、この地上に生を受ける時、霊の成長のため貴重な体験を得るために肉体を得ました。霊に反応し、その指示を受け行動に移すことができるというこの肉体が今日の形にまで進化するためには、100億年以上の歳月を必要としました。 このような肉体は、単…

開拓編⑥

私は近年これほど怒りについて考えさせられたことはありません。仕事上の困難は別として、身の回りが順風満帆で、衣食住が確保されている時は、これほど憤ることなど今までありませんでした。 振り返ると、私の日常生活にそれほど困難がなかったときは、同時…

開拓編⑤

彼の妻は、人の痛みが分からないのでしょうか。 妻は夫の収入をすべて預かり、管理するという名目で夫が自分の通帳を所持することを許さず、夫が空腹を訴えても自分や子供の食べ残しを与え、夫が衣服の購入を求めても破けたものを与え、家事育児においては、…

開拓編④

物質は必ず滅びるのですから、滅びることがわかっている物に信念をおくことは砂上の楼閣であり、人生の暴風雨や地震にあえば、いともたやすく崩壊するでしょう。 皮肉にも、人が地上にある間は天の宝だけではなく、地上の宝も必要とすることは事実です。物質…

開拓編③

私たちは地上にあるときも地上を離れるときも、信じる対象を間違えてはなりません。これは繰り返し唱えていることですが、それだけ錯覚を生みやすいのです。 あなたは、なぜ霊的に幼稚な者を信用し、その者たちがいつかはあなたの期待に添う行いをしてくれる…

開拓編②

彼の妻をその行いや言動から霊的に観察すると、彼女の霊は車椅子に乗り、両手が不自由であり、問題が生じてもただそこにポツンとたたずむことしかできずにいる段階の霊であることは間違いありません。そのような彼女が自分を守るために、その口から出る言葉…

開拓編①

昭和初期からの霊言によりますと、地上の物質そのものは不確実極まりない存在であるので、地上において確かなものというのは自分自身という霊の存在を置いて他にはないということになります。これは、フランスの哲学者であるルネ・デカルトが「我思う、故に…

受難と実践編⑯~㉕

16 苦しみを与えた人や出来事を振り返るとはらわたが煮えるが、それに対処しようと孤軍奮闘した記憶は今となっては微笑ましく美しい。 17 ある日、彼の妻による彼への態度があまりにも酷であるのを見て、彼の一人娘は彼に質問した。「あの母をどうしようかね…

受難と実践編⑭~⑮

14 救いを求める者は、救いを求めない者たちの集団の中に紛れています。 救いを求める者を救おうとするとき、救いを求めない者達から必ず迫害や妨害を受けるのです。 この迫害を怖れ、救いを求める者へ手を差し伸べずにおくのでしょうか。この迫害にかまわず…

受難と実践編⑫~⑬

12 自分を守るために怒る者は、人を許すことができていません。人を許すということは真に寛容でなければできません。 寛容であるためには、自分が被る被害や損失を意に返さない勇気が要ります。よって、人に優しい者は勇気を持つ者です。自分のことで怒る者…

受難と実践編⑩~⑪

10 これは提案であり、とても大きな間違いを含んでいるかも知れない。 どうしようもない怒りや悲しみ、慟哭に直面したときは、自然法則である神に不平を述べるのではなく、また、周囲の人間に不平を述べるのでもなく、私らの指導霊、守護霊に苦情を申し立て…

受難と実践編⑨

人はかつて自分が犯した罪の大きさと同じ罰を受けることになっています。 ところで、自然法則によると、罰を受けた後はその原因となる罪を犯した時点の自分よりも、向上の階段を数段上がった所にいることになります。 ならば、かつて低い位置にいたころの自…

受難と実践編⑧

地上で肉体を持つ間はもちろん、霊の世界においても人は必ず神理に対して罪を犯します。 自分は常に正しいと言える者は自然法則である神だけです。自然法則に反することを行うと、必ず反作用が生じ自動的に調整が入ります。これを罰と言います。人は自然に生…

受難と実践編⑦

自らの肉体を優先しようとする者は、自らの霊に苦しめられます。霊の本質は人を優先しようとするからです。 人を優先しようとする者は、自らの肉体に苦しめられます。肉体の本質は自らを優先しようとするからです。 このジレンマや葛藤が苦しみをもたらしま…

受難と実践編⑥

神は人の霊を二極性の環境に置きました。 光と影、暖と寒、愛と憎、喜と悲、これらと同じように、人は地上で霊と肉の二極化に置かれています。 愛、寛容、慈悲、奉仕、自己犠牲、理性、利他主義、これらは他人を優先しようとする霊の性質です。 一方で、怒り…

受難と実践編⑤

日々の受難によって文字通り満身創痍の体でありながら、なおも苦難の道を歩むとき、それはかつてナザレのイエスがすでに体験したものを薄めた内容に過ぎないから勇気を出すことです。 地上の肉親から苦しめられること。 体を休める家を追い出され夜通し歩き…

受難と実践編④

花は暗い地中で保護され栄養をもらい、やがて芽吹く。 胎児は暗い胎内で保護され栄養をもらい、やがて芽吹く。 現在生命に溢れる地球は、かつて土くれだった。 現在成人したものは、かつて子どもだった。 現在高い者は、かつて低い者だった。 地上の低い者達…

受難と実践編③

神理の知識ばかりが先行し、そこに実践が伴わなければ偽善を働くこととかわりません。 実践とは、日常生活において心から人を愛することです。 心の底から人を愛し、暗い考えに心を囚われることなく人と接することです。 心で憎しみを抱きながら、うわべだけ…

受難と実践編②

周辺の自然現象を観察してみればわかります。 植物が成長する過程を知れば、そこに人間の霊が進化する過程との共通点が見受けられます。 光なき地中にありながら、土壌に抑圧されつつも同時に土から栄養をもらい、土壌に保護されながら成長し、やがて地上に…

受難と実践編①

苦難は受けること、体験すること自体に価値があります。 安易にそれが解決されることを神に望んではいけません。仮に望んだとしても、守護霊たちはその要望を叶えることは許されていません。その祈りは自分勝手なものだからです。 そして、心から望んだその…